天保一三年(一八四二)徳増村の○○兵衛は、五六両二分の借金を残し、田畑を残らず売払って江戸へ出たまま行方不明となった。(21)親類と五人組でその居所を探したが、どうしてもわからなかった。○○兵衛は相当な高持百姓であった。借用証文には、多くの田畑山林が担保として記入されている。五六両も借金するには、それに相当した田畑山林があったのである。借金先は、江戸町人一人、徳増村四人、岩川村三人、桜谷村一人、上茂原村一人、計一〇人で、一人につき三両ないし一〇両借りていた。
借金に際しては当然請人(うけにん)(保証人)が立つ。請人は、借主が返済できない場合、その責任を負わされる。ところが、この事件の後始末は、名主・組頭・親類・五人組で行なっている。担保の土地は既に売払ってしまってあったので、残っていた家と家財を処分した金子一二両を、借りた金額に比例して返済した。五六両余も借りて、一二両しか返せなかったのであるから、貸主は大被害であった。
天保期は、農村の荒廃が伝えられているが、五両・一〇両と貸せる百姓もいた。そして、五六両をだまし借りして逐電した百姓もいた。この件については、納得できない点が多い。担保に入れた土地を他に転売したとき、土地の買主と債権者の関係はどうなるのか、請人の返済義務はどうなっているのか、その上解決は法的でなく、「何卒御仁恵之御勘弁を以て、御聞済成し下され候様希(こいねがい)奉り候」といった心情的解決となっている。逐電とは、潰百姓や年貢の納められない百姓、あるいは犯罪者が夜中にこっそりと逃げるものと考えていたのに、要領よく大金をかすめ取って逃げ出した者もある。江戸で一旗揚げようとして悪智恵を働かしたものと邪推できる。