純朴な農村にも犯罪は発生した。殺人、盗み、博奕、不良行為等軽重様々であったが、幸いに、郷土では殺人のような重罪史料は発見されなかった。作物の盗み取りや立木の盗伐があったことは、村議定書からうかがい知ることができる。博奕の禁令は度々出されている。内湾の八幡宿や五井には博徒もいて、風紀の乱れは西から浸透して来たようである。博奕や不良行為等の軽犯罪でも入牢者が出るし、不良行為の甚だしい子弟をもった親は、災が家族に及ぶことを恐れて子弟を勘当し、人別帳から名を除く者もあった。これらは、素行がおさまれば、宥免や帰帳を願い出ることもある。このような場合、先ず犯罪者の親類や五人組から、村役人や組合村々の名主に願い出て、その承諾を受け、次には、村役人も出願者となって地頭、奉行所、関東取締出役、代官所などに嘆願書を差出した。
郷土史料からは、どのような理由で逮捕されたのか、または親から勘当されたのか不明なものが多い。いずれにしても、宥免願を出せる程であるから軽罪であったと考えられる。