寺社奉行の許可証文をもって寺社が寄付集めをすることを御免勧化といった。勧化の目的は、寺社の維持・修復・再建などの費用集めである。寺社奉行の免許状を受けられる神社や仏閣は、概して格式の高いものに限られていた。
安永一〇年(一七八一)三月、北山田村(現睦沢村)三之宮の神主田中市正は、寺社奉行の免許状を受け、安房・上総・下総の三国を巡行した。桜谷村では、勧化料として鐚(びた)四百文を差出し、軽尻一匹、両掛一花(荷)、人足一人をつけて徳増村まで送った。安永一〇年が改元されて天明元年と改った五月、香取神宮修復のため尾形織部、同数馬という神職が、関東一〇か国の勧化御免を受けて回村して来た。このときは、徳増村に一泊している。一村ごと回ると時間がかかり、村方でも人足馬を差出さなければならないので、近隣の村々では勧物と印形を持って徳増村へ届けた。桜谷村名主三郎兵衛は、村方分として青銅四百文を差出すとともに、個人として六四文を寄付している。
寺社奉行の免許状があると、このような勧化のための巡行も権威をもち、伝馬や人足を無料で差出している。この出費もまた百姓個々にかかるものであり、村財政の負担となった。しかも、御免勧化は断ることができないのである。