全国的に有名な寺社は、御札を配り、その札料を重要な収入源としていた。
天保一五年(一八四四)正月一五日、尾張の津島天王宮の御師が配札のため回村して来た。この御師は、先例により桜谷村三郎兵衛方に泊ることになっていた。桜谷村では、三郎兵衛方だけに迷惑をかけることを心苦しく思い、年番名主の家に順番に泊ってもらおうとした。しかし御師の希望で、また三郎兵衛宅が定宿(じょうやど)となった。津島天王宮と郷土の関係はよくわからない。現在では関係が切れているが、江戸時代、配札は年々行なわれていたようである。御師と村人は顔なじみであり、非常な親近感をもっていた。御師宿泊所のことも、三郎兵衛方の迷惑を考えたというより、年番名主は自分の家に泊ってもらいたかったのではないかと推察される。