5 実相院宮家人巡行

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元治二年四月、京都実相院宮の家人加藤若狹なる者が、両総の地を巡行した。行徳・五井・姉崎・今富村・磯ケ谷村・刑部村・一ノ宮村と回るため、乗駕籠一挺、両掛一荷の人足と旅宿の用意を指示している。「石座(いわくら)御殿」という大きな角印を押し、加藤若狹の名で出されたこの回状は、どのような権威をもったものであろうか。
 京都岩倉は、孝明天皇の勅勘を受けて辞官落飾した岩倉具視が蟄居していたところで有名である。実相院は天台宗寺門派の名刹で、代々宮家の出身者が住職となる門跡寺院であるが、明治維新直前には尊皇系の志士たちの一拠点であった。加藤若狹の巡行は、単に「御用向」とあるだけで、その目的はわからない。宗務であったのか、政治目的を秘めていたのか、一切不明である。