文久三年九月、神野寺開扉の回文があった。来る子(ね)年は、本尊開扉三七年回に当たるので、先例により二月一三日の寅の刻より四月一二日まで六〇日間開扉する。「各様被二申合一御参詣可レ被レ成候」というものである。なお、このようなときは仏餉米(ぶつくまい)を集める。予め仏餉袋を配り世話人に集めておいてもらう。寺の使用人がこの米を集めて回るのであるが、その際は、「此者共宿御セハ奉レ願候」ということになる。米の回収であるから人数も多かったと考えられる。追伸で、「仏餉(ぶつく)之外、諸勧化(しょかんげ)一切出不レ申候」と断ってある。鹿野山は近かったので、参詣する者も多かったと思われる。