文久四年二月六日、市原郡馬立村浅間宮の別当玉泉寺住職恵光外三人の名により、浅間宮大般若六百軸修営のための勧化要請があった。「馬立村浅間宮は、木花咲耶(このはなさくや)姫を祀る。即ち、冨士浅間宮を移した無双の神霊で、殊に安産を守り、苦厄を除き、また酒造・蚕養を守護する霊験あらたかな神である。この度大般若六百軸を修営しようとして万人講を結成した。宜しく講に加わり御寄付の程を願う。」といった趣旨のものである。
また、各地世話人のため、「万人講勧誘仕法」が書添えられている。「一人七五日の間、一日一銭ずつ、計七五文寄付すれば、浅間宮へ懸札(かけふだ)し、万人講供養塔にも、名を記し、永代六月一日、神前において読みあげる。一〇人以上講に加入させた者へは、永代御札を差上げる。」というものである。なおこの万人講とは、出来るだけ多数の人々から寄附を集め、神仏の行事、あるいは寺社の修理などの費用とし、このことが現世の幸福、来世の往生につながるものと考えられていた。小榎本の円寿寺境内に「万人講」の供養塔一基があり、周囲に各村の名と寄附した人数が刻みこまれているが、何のための寄附であるかは判明しない。