17 迫害された仏教――不受不施派――

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近世を通じて絶えず看視の目がそそがれ、きびしく禁圧せられたものはいうまでもなく切支丹(キリスト教)であった。明治新政府の発足にあたっても、旧幕府の方針は依然として守られて明治四年十一月木更津県の名で出された禁制の制札があらためて各村々に掲示されたほどであった。この禁制の高札はその後、明治六年二月二四日で撤去される事となったが、この切支丹禁制とならんで近世を通じてしばしば弾圧されたのが日蓮宗不受不施派とよばれる一派である。
 この不受不施とは、日蓮宗以外の信者からは布施供養を受けず、日蓮宗以外の僧には供養をしないという思想であって、本来の日蓮宗全般の考え方であるが、政治を行うものが日蓮信者でない場合が多く、その治下で、日蓮宗の僧や信者はいかにしたらよいかという問題となって室町末期から宗団内部で問題となって来たのである。最初は教団内部の主導権争いがからんで身延を中心とする妥協派と非妥協派(池上、本門寺)の対立であり、幕府に訴えて不受不施を主張する者の処罰を要請することがあったが、幕府の宗教政策として与えられる御朱印(寺領の公認)を拒否するに及んで、遂に弾圧せられる事となった。
 寛文九年(一六六九)四月、不受不施派に対し寺請(てらうけ)の停止を命じた。すなわち正式の檀徒をもつことが禁止され、キリシタンと同様に邪宗門として扱われ、地下に潜む信仰となったのである。この派に関する弾圧は明治九年の不受不施派公認までおよそ三百年の間続くのであるが、寛永十二年(一六三五)の九人の磔(はりつけ)刑死罪をはじめとして幕府から処罰せられたものは、磔刑一七、死刑八、牢死九一、流罪一八一、に及んでいるが他にも多数の自殺・入水・断食による死者が出ている。
 不受不施派の僧侶としては、(一)転宗する。(二)悲田不受不施派となる。(悲田派とは幕府からの御朱印をみとめる小湊の日明など)(三)受不施派に転派しながら内心で信仰を守る。(四)あくまで所信をつらぬき、寺から離れ地下の信仰生活を送る。という四つの道があったが、この第四のもっとも苦難の道をえらんだものが多かった。又信者として、(一)転宗転派をする。(二)他派に転じながら内心は信仰を守る。(三)不受僧に従って、無宿者となって信仰をつらぬく。という方法があったが、あえてこの迫害の道をえらび自己の信仰に生きたものが多かった。
 この信者たちのうち表面は受不施派の信者をよそおい、公認の日蓮宗の檀家となりながらも内心は不受不施を信じたものを内信(ないしん)・濁法(だくほう)・濁派(だくは)とよび、あくまで不受の信仰をつらぬく者を清者・法立(ほうりゅう)・清法とよぶ。また僧の時は清僧法中(ほうちゅう)とよんだ。寺をもてない清僧は、内信の供養を受けねば生きて行けない。しかし、内信は心は別として表面は汚れたものであるから直接に供養を捧げることは出来ない。ここで内信――法立――法中の秘密組織が出来上り、このような法中は各地域に散在していたが、それをさらに広い区域で統率するものを法頭とよんだ。この法中は寺を持てないので僧体をとらず変名、変相して普通の家に住み、夜間を利用して内信の家を訪れ布教をし、また僻村や山中に隠れ家を求めた。下総上総方面は京・大阪、および中国地方などと並んで不受不施派の中心地であった。内信のものの葬儀に際しては表面は日蓮宗の僧を招きながら、別に秘密に同信のものだけが集って別箇の葬儀を行うなどの事を行っていた。
 この長柄町にも、道脇寺、舟木などを中心にかくされたこの信仰が最近まで続けられていたという。野田(現千葉市誉田)十文字原は寛永十二年(一六三五)九月五日、最初の殉教者を出した所で、日浄・日盛二人ははりつけ、日徳外三名(あるいは六名)が死罪となった。そのうちの一人は道脇寺村の人で、あるいは渡辺長左衛門という人がそれに当るかも知れない。この地に後に一宇の堂が建てられ五日堂とよばれたが、この堂にかつて元禄五年(一六九二)の日逞の奥書花押のある過去帳が蔵せられていた。茂原市(本納)柴名の蓮華寺の中村孝也師の御厚意により千名におよぶその記載の中から、この長柄町に関係のある人名を抽出していただいたが、総計八一名。年代は寛永十六年(一六三九)から貞享四年(一六八七)までに及び、道脇寺・舟本が共に三〇名以上を数え、八反目・味庄・別所・山根は、それぞれ六・五・三名と少い。
 なかに道脇寺村・作兵衛夫婦には「法難ノ時村ヲ去」と注してある。すなわち家をすて、村をすててまでも忠実に自己の信念に生きて行った昔の人の信仰の深さをあらためて痛感せしむるものがある。かくれた信仰であるだけに遺された資料はまことに乏しい。中村孝也師の熱心な踏査は十冊(43)にも及ぶ著書となって発表せられているが、土地の人びとも些細なものであっても、この熱烈な信仰のあとを辿り得るものがあったらお知らせを頂きたい。