[大政奉還]

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 前項で述べたように、尊王攘夷運動は倒幕運動に直結するものでなかったが、幕府頼むに足らずとして、下級貴族や西国諸藩の下級武士の間では、倒幕への機運が急速に高まっていった。藩主層や上級貴族は概ね公武合体派で、朝廷の権威が高まることは予想しても、慕府を全面的に否定するものでなかった。ただ、長州藩だけは、藩をあげて倒幕派の最右翼となっていた。特に、慶応元年(一八六五)から二年にかけての長州征伐が失敗に終わると、長州藩の気勢はあがり、諸藩も次第に倒幕へと傾いて行った。
 倒幕といっても、長州藩のように武力で幕府を討とうとするものから、土佐藩のように大政奉還により平和的に幕府政治を解消しようとするものまで様々であったが、多くの藩はなお日和見的であった。しかし、かつて犬猿の間柄であった薩長二藩が連合するに及んで、討幕へと方向が決った。薩長二藩は共に外国艦隊と砲火を交えて惨敗し、いち早く攘夷に見切りをつけて軍備の近代化を図った実力藩である。一五代将軍慶喜は新状勢を見抜き、公武合体派の土佐前藩主山内容堂の奨めにより大政奉還を決意した。幕府は、天皇の下に諸藩主の会議を設け、将軍がその議長となり、政治上の実権を持ち続けようと考えたのである。朝廷では、大政奉還を直ちに受け入れ、慶応三年(一八六七)一二月九日、王政復古の大号令を発し、新政権を樹立した。ここに、江戸幕府はあえなく消滅した。
 公武合体派の願望をよそに、新政権は慶喜を受け入れず、その上鳥羽・伏見の戦いにより朝敵の汚名を受け、東征軍に江戸城を明け渡し、佐幕色の強い奥羽諸藩も慶応四年中に鎮圧され、徳川氏は面目・実力とも完全に崩壊した。
 二百数十年間にわたる徳川政権が、このようにはかなく崩壊するとは、誰しもが予想しなかった。幕府滅亡の原因は、外国船の来航であり尊王倒幕派の志士の活躍であることはもちろんであるが、その根底には社会の変化がある。鎖国という変則体制により、むしろ封建体制は余分に生き長らえていたのである。
 では、幕府滅亡期の郷土の様子はどうであったか。幕府直参の旗本知行所や譜代大名の領分がほとんどであった郷土では、幕府滅亡など夢にも考えぬ者が大部分であったと考えられる。太平に馴れ、武備を忘れ、貧に苦しんでいた旗本たちも、将軍家の危急存亡のときとあって、その知行所農民に兵夫役や軍役金を課し、武備を整えた。
 文久三年(一八六三)三月四日、将軍家茂は、尊攘派の天誅が荒れ狂う中に上洛した。家茂の随従は三千人といわれている。従う旗本は、出陣のための人足を知行所に賦課した。刑部村篠網の布施氏知行所には、高百石に付き三〇日詰めの兵夫役(21)が課された。兵夫役というからには、戦いが始ることを予想していたと考えられる。このときの三〇日間の勤役は、村の誰かが金七両で請負った。
 元治二年(一八六五)四月一三日、再度の長州征伐軍が進発した。その前の三月、動員令を受けた旗本は、その知行所に夫人の差出しを命じている。「……長防之形勢全鎮静与も不相聞、既ニ激徒再発之趣も有之」として、知行所へ下知したのであるが、それは、「知行所夫人之儀、亦々相頼申度」(22)というもので、下知というより哀願に近いものであった。
 慶応三年一〇月一四日、将軍慶喜は将軍職を奉還した。同年一二月九日王政復古の号令が発せられ、慶喜は新政権からはじき出された。鳥羽・伏見の戦の直前である。慶応三年一一月、立鳥村地頭鈴木万次郎は、村方へ金子二二両二分の軍役金を課した。
 
    書下(23)
 一、金弐拾弐両弐分
    内九両也     十月納済引
   〆金拾三両弐分也
 右者此度為御軍役金書面之通高割上納被仰付一レ之、出精調達来ル十二月十日限無遅滞上納可為者也
           地頭用所印
    慶応三年卯年十一月                         立鳥村名主・組頭・惣百姓江
 幕府崩壊寸前の政情も知らず、郷土の農民は黙々として軍用金を上納し、兵夫役に耐えていた。幕府の膝元意識の強い郷土ではやむを得ないことであった。
 
 註
(1) 刑部 村上忠義家所蔵
(2) 日本歴史(二三八号所載)「上総国における改革組合村の始原」
(3) 山根 畠山金夫家文書
(4) 国府里 高吉基家「夫食一条ニ付差縺之次第并取極議定書之書」
(5) 鴇谷 加藤泰治家文書
(6) 山之郷 成島孝太郎家文書
(7) 田代 鶴岡仁一家文書
(8) 児玉幸多・川村優編『近世農政史料』(三)
(9)(10) 『牧民金鑑』
(11) 刑部 内藤正雄家年々用留
(12) 同前
(13) 同前
(14) 同前
  刑部村名主内藤三郎兵衛の『年々用留』は、安政七年(一八五九)から慶応三年(一八六七)に至る間の、触・達・廻文・請書・議定書・詑状・勧化状・訴状などが克明に記録され、幕末維新期の世状がうかがえる好史料である。
(15) 『牧民金鑑』
(16) 桜谷 仲村多治見家御用留
(17) 『房総通史』改訂房総叢書別巻
(18) 舟木 矢部泰助家文書
(19) 刑部 内藤正雄家年々用留
(20) 『真忠組浪士騒動実録』高梨輝憲校注
(21) 刑部 内藤正雄家年々用留
(22) 同前
(23) 立鳥 安藤文也家文書