3 横山塾

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創立者は、横山善衛門、号は如扇、横山善長氏より数えて六代前の祖である。塾は旧長柄村上野の横山氏宅で、嘉永年間からその前後に亘るものではないかと思われる。それは上野にある如扇先生の碑等により伺い知ることができる。即ち碑文によれば「先生幼より学を好み、年甫めて八才橘元孝の門に入りて和漢の学を専攻し、造詣太だ深し、特に国風俳句に長じ亦算数の術に精し故を以て遠近来り学ぶもの甚だ多し、門弟の建立にかかる謝恩碑には、絶妙の好辞を遺せり今左に之を録すべし。辞世、「ゆく先に楽しみありや蝶の夢」嘉永五壬子年二月朔日筆算門弟中建之」裏面には、「当廟ノ意趣者横山家摠領ニシテ俳名如扇性質素之人也。八才ヨリ橘元孝ノ門ニ入算筆修業十有余年也。学相成而後温情五道満足セリ。依之得数多之門子。諭之時ハ母之愛子如含乳。何知此之徒他有比類哉。嗚呼惜哉五十有一才ニシテ卒去シ玉エリ。「戒名号浄玄院了音日明信士。今元治元甲子年十三回忌相当依之擬報恩謝徳者也。釈法国書之」とある。
 更に横山家には、和算学の免許書三巻と机数脚、大鼓等が保存されている外和算書、その他明治初期に用いた教科書等貴重なものが多数保存されている。尚和算免許書の三巻は、その一は見題で、文化十四年丁巳十二月朔日、日下誠より、木村仲蔵に与えたものであり、その二その三は隠題と伏題で、文政元戌寅年十月朔日に、日下誠(関流)より高山仲蔵(木村仲蔵と同人ならん)に与えられたものである。所で木村仲蔵なる者が如扇と同一人であったかどうか資料がないので明かではないが恐らく横山家ゆかりの者であったのではなかろうか。これらのことから考えると、和算塾がこの地に存在したことになり、非常に貴重な資料であるように思われる。たゞ塾の記録不十分のため内容を詳にしえないことが甚だ残念に思われる。