創立者は石川平内。長柄郡腰当村(現茂原市腰当)林家の次男として生まれた。後同郡力丸村石川家の養子となったが、生来学問を好み、将来この道で身を立てようとした。石川家の人となってから、一時公立小学に教鞭をとっていたが、職を辞し、力丸の自宅に私塾を開いた。近隣の人々は、この塾を平内塾とよび教えをこうものが多かった。学科は、漢学を主とし、習字、作文、珠算であった。漢籍は一定しないで、生徒の自由選択にまかせた。机は各自持参、授業時間は、午前八時から午後四時頃までとしたようである。月謝、休日等細かいことは明かでない。明治十八年(一八八五)年四月六日病歿した。