岡本氏は、明治十一年二月、一松村木島恭輔、高根本郷村高山篤志及長柄村味庄柴崎民五郎氏の懇望により、柴崎氏居宅に来談された。当時小学校を終えた者に対し何等高等教育の機関はなかったので、岡本氏の来遊を機とし、学舎設立を企て、遂に長柄山村味庄(現長柄町味庄)山崎儀三郎、同愛蔵・柴崎民五郎等結社総代となり、同年三月十日学舎の創立を完成した。此の三氏は後に学舎の幹事となり、他に一松村(現長生村一松)国吉橋平、高山、木島の両人も後援者となり、大いに学舎の発展に力めた。子弟は漸次増加し、四十余名にものぼり、学舎も次第に狹くなったので、同年十月山之郷観音台に、工費二〇〇円を投じ、二十余名の賛助を得て、学舎新築を計画、同年十二月竣工の目途を以て起工、柴崎、国吉、山崎の三氏が工事を監督し、同村飯尾の人惣次郎に依嘱して工事に着手し落成をみた。その後諸規程を改め、大いに学風の振興を図ったので、従来の面目を一新するようになった。なお当時学舎に於ては実業の奨励をし、甘蔗、草綿、藍、麻等を栽培し、一層励業の名にふさわしく、子弟共に勤労につとめ、官有地の払下げまで試み田畑の耕作に従事した。その為生徒の学業も大いに進歩したが、その後岡本氏は陸軍省に召され任官することになったので廃止の止むなきに至った。
次にこの塾の教師及後援者について主なものをあげてみよう。
柴崎民五郎氏は、天保八年(一八三七)九月一日、一松村驚平民中村六平の次男に生まれ、味庄村柴崎万蔵の養子となった。後長柄村四代の村長に就任、村政に貢献したが、他面文武両道にすぐれ、特に槍術の達人として知られた。岡本氏との関係については、彼の「梄鳳館記」によって知ることができる。即ち明治元年(一八六八)岡本は、箱館裁判所の権判事に就任、明治二年北海道開拓判官に任命され開拓事業にたづさわったが、この時民五郎は岡本に随行し行動を共にした。以後親交を続け、学舎創立に当って、岡本に協力をちかったのである。
舎主岡本氏は、四国阿波の人、同国の儒者岩木大人に従い、安政元年(一八五四)三月より、同三年六月まで漢学を研究し、同六年八月より七年三月まで神奈川県庁にて開港始末編集に勤務し、次で長崎師範学校教師となり、同十年十月東京大学講師となり同十一年二月退職、三月学舎の舎主になった。岡本氏の外教師は、讃州の藤川三渓、和歌山の人三宅証等であるが、当時の事情、身分等については、詳ではない。岡本氏の去った後の舎主は広瀬桐江である。彼は旧淀藩の儒官で子弟教育すること四十有余年、門弟千余人に及んだと云われているがくわしい事情は明かでない。次にこの塾の教育方針・教育内容、方法等について塾則によりその概要をのべてみよう。
励業学舎規則は、前文と五章から成り、教育の方針・教育の内容・方法、寄宿舎の生活等詳細にのこされている。
章 | 項 目 | 条 | 内 容 |
前 文 | 教育方針 | ||
第一章 | 舎則 | 十三条 | 校内の規則 |
第二章 | 教則 | 五条 | 教育課程 |
第三章 | 塾則 | 二十条 | 塾内生活規則 |
第四章 | 書籍器械貸渡規則 | 四条 | |
第五章 | 罰則 | 五条 | |
その他 | 参観心得 | 六条 | |
幹事室掲示 | 例則 | ||
禁則 | |||
食堂掲示 | 四項 | ||
応接所掲示 | 二項 | ||
浴場掲示 | 二項 | ||
授業料収入表 |
前文をみると、「本舎開設ノ主意ハ修身ヲ第一トシ、物産ヲ興シ公益ヲ長ジ、古今万国ノ制度文学時勢風俗ヲ察シ、斯世斯民ヲ済ハント欲シテ学齢外ノ子弟ヲ教育スルニ在リ」と述べ、舎則をみると、経営方法について、生徒に自治的に参加させる方法をとり、学校の規則は生徒の意見によってきめ(第一条)塾長は生徒中より選び(第六条)教師を助けさせる進歩的な考えをとっている。
また教則をみると、修業年限を一年半とし、卒業までを六級に分け、一級を三か月ときめ、下等(第三級第二級第一級)上等(第三級第二級第一級)と進む仕組みになっていた。試験の成績によって進否をきめたが、試験の成績に応じ、必ずしも、最下位から順次進む必要はなかった。学科の内容と程度は別に示すが、授業は一日五時間で、寄宿の設備が整い、極めて厳しい生活であった。舎則と教則は別掲の通りである。
励業学舎は、その成果も上り、生徒の数も次第に増してきたが、一方では、理論と実践の統一をはかる必要上他に土地を求める必要に迫られたので、山之郷字辻の荒蕪地五町二反七畝二十三歩の開墾を思い立ち、明治十一年九月一日、県に対して開墾願を出し認可されたので学舎をここに移し、鋭意開墾に努力して、植物試験の目的に邁進したが、経営上の都合から、明治十四年(一八八一)十二月二十日廃止の止むなきに至った。因みに、岡本の開墾した土地は、通称観音台と呼ばれ、今から二三二年前、寛保二壬戌年(一七四二)四月十八日、山之郷村の氏子一同が石造の観音菩薩の立像を祀り、それが今に保存されていることによる。
考えてみると、長柄の僻村に極めて進歩的な学舎を創建し、渾身の努力を払って経営に当ったことは、特筆するべきことであると共に、岡本監輔が並々ならぬ人物であったことが伺えよう。やがて岡本は東京に帰り斯文学会を設立千鳥義会をつくるなどして明治三七年病歿し、正五位を贈られた。以下柴崎丞家所蔵の学則その他を掲げる。
励業学舎規則
方今小学ノ設地トシテ有ラザルナキハ聖代ノ盛叓ナリト云ヘドモ学齢外ノ輩ニ至リテハ授業ノ方法未タ備ハラザルガタメ功用ヲ発揮スルコト能ハズ真ニ遺憾ノ至ト云フベシ本舎開設ノ主意ハ脩身ヲ第一トシ物産ヲ興シ公益ヲ長シ古今万国ノ制度文章時勢風俗ヲ察シ斯世斯民ヲ済ハント欲シテ学齢外ノ子弟ヲ教育スルニ在リ教員敢テ自ラ人ノ師表タルニ足レリト云フニ非ズ子弟タルモノ深ク其説ヲ究メ益其妙ヲ発シ日進ノ功ヲ発シ国家ノ幸福ヲ致サンコトヲ企望スト云爾
第一章
舎則
第一条舎中一切ノ規則ハ社中ノ公論ニ従ヒテ措置ス
第二条舎中ノ叓務ヲ整理スルハ幹叓ノ任トス金銭出納等ハ毎月精算表ヲ作リ社中諸人ニ示スベシ
第三条幹叓ノ員ハ三人以内ト定メ社中ヨリ之ヲ挙ゲ其任期ヲ壱ケ年トス
第四条幹叓ハ教師生徒ノ勤惰非違ヲ監視シ生徒ノ入学退舎及ヒ帰省等ヲ許シ罰則ヲ行フノ権アルベシ
第五条教師ヲ傭入ル時ハ幹叓連署ノ証書換スベシ
第六条生徒中其学最モ優ニシテ行状方正ナルモノヲ択テ塾長トシ教師ヲ助ケ諸叓ヲ監視セシム
第七条生徒ノ入学セントスルモノハ父兄或ハ親族明友ト同シク幹叓ヘ報シテ共ニ左ノ証○ヲ出スベシ
入学ノ証 料紙証券罫
属族住所番号
誰子弟或ハ何
何ノ誰
年月
右之者貴舎ヘ入学為致候ニ付テハ貴舎一切之規則確守セシムベク候本人身上ニ於テ如何様ノ叓故出来候共都テ引請ケ申候依之証書差出候也
年 月 日 請人 誰印
励業学舎
御中
第八条凡ソ入学スルモノ授業料ハ別紙第一号ニ照シ之ヲ収メシムベシ
第九条第一号表ノ金額ヲ収ムルコト能ハザルモノハ幹叓ト協議ノ上別紙第二号表ニ照シ之ヲ収メシム
第十条一家ヨリ同時ニ生徒数名ヲ出スモノハ同ク第三号表ニ照シ之ヲ収メシム
第十一条寄宿生徒ハ毎月壱斗五升ノ米ヲ納シテ賄料トシ別ニ五十銭ヲ菜代諸費ニ充ツベシ
第十二条生徒常用ノ器械及ヒ炭油等ハ総テ自費タルベシ
第十三条正課時間ヲ一日五時トス其時間表ハ時々講堂ニ掲示ス
第二章
教則
第一条本舎生徒ハ二等ニ分テ其優劣ヲ六級トス
第二条[ ]期ヲ一ケ年半ト定メ一級ヲ三ケ月ノ業トス
第三条毎月末ノ土曜日ヲ以テ小試考ヲナシ学業ノ進否平生ノ品行勤惰ヲ察シ坐位ヲ上下シ三ケ月目ノ第一日ヨリ三日間ニ大試考ヲナシ等級ヲ昇降ス
第四条下等第一級以上ノ者ハ其性ノ近キ所ト心ノ欲スル所ニ従ヒテ学ハシメ各料専門ノ初歩トナサシムルコトアルベシ
第五条作文ハ毎月土曜日起業前三十分題ヲ講堂ニ掲示ス
学料概表
第三級 第三級
素読 千字文・四書(下等)
質問 輿地誌略・草木六部耕種法
作文簡易ノ○犢ヲ作ラシム
算術 分数
輪講 土性弁・国法汎論(上等)
質問 八家読本・地理全誌上編
作文 復文及ビ簡易ノ漢文ヲ作ラシム
算術 幾何初歩
第二級
輪講 国史略・草木六部耕種法(下等)
質問 続国史略
作文 通常簡及証○文体ヲ作ラシム
算術 比例諸法
輪講 宝氏経済学(上等)
質問 瀛環史略・史記
作文 紀叓及ビ論策ノ漢文
算術 代数
第一級
輪講 十八史略・培養秘録(下等)
作文 和訳体ノ論説及公用文テ作ラシム
算術 開平開立
輪講 八面鋒・自由之理
質問 網鑑易知録・古文析義
作文 前級ニ同ジ
算術 三角法
但シ講義ハ各等級ニ比ヒ左ノ書籍ヲ用ユ
一 地理全志下篇・文章規範
一 新津改定合本 戦国策左伝
一 書経
第五章
罰則
第一条罰ハ讉責禁足退学ノ三種トシ臨時掲示及ビ舎則ノ軽キニ触ルヽモノハ之ヲ讉責ス臨時掲示ノ稍重キモノニ触レ及ビ舎則ヲ犯スト云ヘドモ叓情諒恕スベキモノハ三月以内ヲ禁足ス 自己ノ怠慢疎暴ヨリ舎則ヲ犯スモノハ一週以内ヲ禁足ス 故ラニ舎則ヲ犯シ風儀ニ害アルモノハ二週以内ヲ禁足ス 二週以内禁足ヲ受クルコト六ケ月間二回ニ及ブモノハ退学セシム
第二条総テ犯則ノ者ハ塾長付添ヒ幹叓室ニ至リ幹叓之ヲ糺シ処分スルモノトス
第三条退学ノ罰ハ処分ノ上其受人ヘ引渡スモノトス
第四条禁足以上ノ罰ハ之ヲ講堂ニ掲示スルコト一週間ニ至ル
第五条禁足ハ門外散歩及ビ日曜日ノ他出ヲ許サザルモノトス
通学生ト云ヘドモ亦此罰則ヲ照準シ相当ノ処分ヲ受ケシム
方今小学ノ設地トシテ有ラザルナキハ聖代ノ盛叓ナリト云ヘドモ学齢外ノ輩ニ至リテハ授業ノ方法未タ備ハラザルガタメ功用ヲ発揮スルコト能ハズ真ニ遺憾ノ至ト云フベシ本舎開設ノ主意ハ脩身ヲ第一トシ物産ヲ興シ公益ヲ長シ古今万国ノ制度文章時勢風俗ヲ察シ斯世斯民ヲ済ハント欲シテ学齢外ノ子弟ヲ教育スルニ在リ教員敢テ自ラ人ノ師表タルニ足レリト云フニ非ズ子弟タルモノ深ク其説ヲ究メ益其妙ヲ発シ日進ノ功ヲ発シ国家ノ幸福ヲ致サンコトヲ企望スト云爾
第一章
舎則
第一条舎中一切ノ規則ハ社中ノ公論ニ従ヒテ措置ス
第二条舎中ノ叓務ヲ整理スルハ幹叓ノ任トス金銭出納等ハ毎月精算表ヲ作リ社中諸人ニ示スベシ
第三条幹叓ノ員ハ三人以内ト定メ社中ヨリ之ヲ挙ゲ其任期ヲ壱ケ年トス
第四条幹叓ハ教師生徒ノ勤惰非違ヲ監視シ生徒ノ入学退舎及ヒ帰省等ヲ許シ罰則ヲ行フノ権アルベシ
第五条教師ヲ傭入ル時ハ幹叓連署ノ証書換スベシ
第六条生徒中其学最モ優ニシテ行状方正ナルモノヲ択テ塾長トシ教師ヲ助ケ諸叓ヲ監視セシム
第七条生徒ノ入学セントスルモノハ父兄或ハ親族明友ト同シク幹叓ヘ報シテ共ニ左ノ証○ヲ出スベシ
入学ノ証 料紙証券罫
属族住所番号
誰子弟或ハ何
何ノ誰
年月
右之者貴舎ヘ入学為致候ニ付テハ貴舎一切之規則確守セシムベク候本人身上ニ於テ如何様ノ叓故出来候共都テ引請ケ申候依之証書差出候也
年 月 日 請人 誰印
励業学舎
御中
第八条凡ソ入学スルモノ授業料ハ別紙第一号ニ照シ之ヲ収メシムベシ
第九条第一号表ノ金額ヲ収ムルコト能ハザルモノハ幹叓ト協議ノ上別紙第二号表ニ照シ之ヲ収メシム
第 一 号 表 | 寄宿 金五拾銭 | 第 二 号 表 | 寄宿 金三拾銭 |
通学 金五拾銭 | 通学 金三拾銭 | ||
第三号表 | 一号表ニ当ルモノ 二号表ニ当ルモノ | ||
甲 一名 金五拾銭 金□拾銭 | |||
乙 一名 金三拾銭 金二拾銭 | |||
丙 一名 金二拾銭 金拾銭 | |||
丁 以下収入スルニ及バズ |
第十条一家ヨリ同時ニ生徒数名ヲ出スモノハ同ク第三号表ニ照シ之ヲ収メシム
第十一条寄宿生徒ハ毎月壱斗五升ノ米ヲ納シテ賄料トシ別ニ五十銭ヲ菜代諸費ニ充ツベシ
第十二条生徒常用ノ器械及ヒ炭油等ハ総テ自費タルベシ
第十三条正課時間ヲ一日五時トス其時間表ハ時々講堂ニ掲示ス
第二章
教則
第一条本舎生徒ハ二等ニ分テ其優劣ヲ六級トス
第二条[ ]期ヲ一ケ年半ト定メ一級ヲ三ケ月ノ業トス
第三条毎月末ノ土曜日ヲ以テ小試考ヲナシ学業ノ進否平生ノ品行勤惰ヲ察シ坐位ヲ上下シ三ケ月目ノ第一日ヨリ三日間ニ大試考ヲナシ等級ヲ昇降ス
第四条下等第一級以上ノ者ハ其性ノ近キ所ト心ノ欲スル所ニ従ヒテ学ハシメ各料専門ノ初歩トナサシムルコトアルベシ
第五条作文ハ毎月土曜日起業前三十分題ヲ講堂ニ掲示ス
学料概表
第三級 第三級
素読 千字文・四書(下等)
質問 輿地誌略・草木六部耕種法
作文簡易ノ○犢ヲ作ラシム
算術 分数
輪講 土性弁・国法汎論(上等)
質問 八家読本・地理全誌上編
作文 復文及ビ簡易ノ漢文ヲ作ラシム
算術 幾何初歩
第二級
輪講 国史略・草木六部耕種法(下等)
質問 続国史略
作文 通常簡及証○文体ヲ作ラシム
算術 比例諸法
輪講 宝氏経済学(上等)
質問 瀛環史略・史記
作文 紀叓及ビ論策ノ漢文
算術 代数
第一級
輪講 十八史略・培養秘録(下等)
作文 和訳体ノ論説及公用文テ作ラシム
算術 開平開立
輪講 八面鋒・自由之理
質問 網鑑易知録・古文析義
作文 前級ニ同ジ
算術 三角法
但シ講義ハ各等級ニ比ヒ左ノ書籍ヲ用ユ
一 地理全志下篇・文章規範
一 新津改定合本 戦国策左伝
一 書経
第五章
罰則
第一条罰ハ讉責禁足退学ノ三種トシ臨時掲示及ビ舎則ノ軽キニ触ルヽモノハ之ヲ讉責ス臨時掲示ノ稍重キモノニ触レ及ビ舎則ヲ犯スト云ヘドモ叓情諒恕スベキモノハ三月以内ヲ禁足ス 自己ノ怠慢疎暴ヨリ舎則ヲ犯スモノハ一週以内ヲ禁足ス 故ラニ舎則ヲ犯シ風儀ニ害アルモノハ二週以内ヲ禁足ス 二週以内禁足ヲ受クルコト六ケ月間二回ニ及ブモノハ退学セシム
第二条総テ犯則ノ者ハ塾長付添ヒ幹叓室ニ至リ幹叓之ヲ糺シ処分スルモノトス
第三条退学ノ罰ハ処分ノ上其受人ヘ引渡スモノトス
第四条禁足以上ノ罰ハ之ヲ講堂ニ掲示スルコト一週間ニ至ル
第五条禁足ハ門外散歩及ビ日曜日ノ他出ヲ許サザルモノトス
通学生ト云ヘドモ亦此罰則ヲ照準シ相当ノ処分ヲ受ケシム