長柄郡山根村、飯尾憲が校主として同氏の邸宅を校舎に充て、明治九年(一八七六)開校した。校主の外教員として、太田福三郎、倉橋栄三郎の両氏に嘱託して教授を担当したが両人とも鶴舞藩士であった。教科目は、漢学、洋学、珠算、筆算、課外課目も加えた。生徒は男子のみで、多くは他町村より通学し、村内の者は少なかった。開設時は十四、五名であったが、次第に盛んとなり、一時は「校名四隣にひゞき盛大であった」と云うから、相当遠方からも入学し、人材育成の功は大きかったと思われる。然し開校僅かで明治十二年閉鎖された。家族は明治二十年頃他へ移り、現在子孫はいない。