明治の始めから、昭和の初め頃までの間にわたり、相当な数に上り、その内容もさまざまであるが、報告をされたものについて記してみよう。塾の分布は次表の如くである。
地区 | 部落名 | 指導者 | 年 代 | 塾生数 | 年 令 |
水上 | 1 篠網 | 鈴木べん | 明治四一―大正十 | 七〇 | 一六―二十才 |
2 月川 | 行方さだ | 大正―昭和 | 二〇 | 一六―一八 | |
3 高山 | 曾根さき | 大正中期―昭和初 | 二〇 | 一八―二二 | |
4 大津倉 | 野口某 | 昭和二十年まで | 一〇 | ||
5 同 | 佐久間その | 大正の初め | 一〇 | ||
6 同 | 篠田たけ | 昭和初―昭和初 | 三〇 | ||
7 同 | 安藤まつ | 昭和十四五年 | 一〇 | ||
8 稲塚 | 大高民子 | 昭和二一―二三年 | 一〇 | ||
9 辺田 | 大熊ひさ | 大正一五―昭和二二 | 七―八 | ||
10 田代 | 鶴岡やす | 昭和十五年頃 | 七―八 | 一九―二〇 | |
日吉 | 11 針ケ谷 | 小倉つじ | 明治三十―昭和三十 | 二〇 | 一五―二〇 |
12 桜谷 | 鹿間すみ | 明治三三―昭和五 | 三〇―七〇 | ||
13 針ケ谷 | 山越より | 昭和初め頃 | 五 | 一五―一六 | |
14 徳増 | 大川すて | 大正末―昭和初 | 一〇 | 一五―一六 | |
15 同 | 網野きわ | 昭和中頃 | 一〇 | 一五―一七 | |
16 鴇谷 | 石川よし | 明治―大正 | 一五 | 一六―一七 | |
17 同 | 加藤某 | 明治―大正 | 一五 | 一六―一七 | |
18 日吉小榎本 | 木島某 | 明治二〇年代 | 十名 | 一五―一八 | |
長柄 | 19 長柄山 | 岡山まつ | 明治三三年頃 | 八 | 一八―二〇 |
20 同 | 元吉きよ | 明治一七年頃 | 一〇 | 一六―一八 | |
21 同 | 黒須くら | 大正七―昭和一三 | 二五 | 一四―二〇 | |
22 六地蔵 | 林ふじ子 | 昭和一七・八年 | 一五―二〇 | 一五―二〇 | |
23 千代丸 | 林市子 | 明治―大正 | 三〇―四〇 | 一五―二〇 | |
24 追分 | 本間とく | 明治の終り | 二〇 | 一五―一七 | |
25 山之郷 | 岡本ふさ | 明治三〇年頃 | 一〇 | 二〇 | |
26 国府里 | 木島きく | 大正一四―昭和一五 | 三〇 | 一五―一六 | |
27 長柄六地蔵 | 中村なみ | 大正―昭和三年 | 三〇―四〇 | 一五―二〇 | |
28 千代丸 | 林つや | 明治―大正 | 四〇―五〇 | 一四―二一 | |
29 山之郷 | 岡本とく | 大正中頃 | 一〇 | 一七―二二 |
右の中、比較的組織的に教育が行なわれていたものについて、その教育の状況を記してみよう。