明治四十一年(一九〇八)一月の開設、自宅を教場としたが、閉塾までの生徒はおよそ五百人に上り、一時は極めて盛んであった。
指導者の鈴木べんは明治一八年(一八八五)十月三十一日、旧豊栄村棚毛、古山家に生まれ、鈴木家に嫁した。
塾生は主として十六才から二十才位の女子で、通塾範囲は極めて広く、旧水上村(深沢・笠森方面)日吉村(泉谷、初芝)長柄村(長柄山、追分)養老村(新巻、川在、大桶方面)にわたっていた。裁縫を主としたが、行儀作法等にも亘ることがあった。水上村青年学校に裁縫科が設置されたので、自発的に閉塾した。