明治二十三年(一八九〇)に小学校令の改正が行なわれたが、これは、同年四月、市町村制が実施されたことによるものである。しかし内容的には、明治二二年、大日本帝国憲法が発布され、同二十三年十月、教育勅語の下賜などにより、国民教育の大本を樹立する必要にせまられたことによるもので、この改正小学校令によって、義務教育の基本路線がしっかりときづかれたわけである。この時期の主な改正事項をあげると、(ア) 小学校簡易科を廃し、尋常小学修業年限を三年又は四年とした。(イ) 祝祭日、儀式等を重視し、国家主義の教育に力を入れた (ウ) 学務委員が再び設置され、教員出身委員は、市町村長が任命、その他は議会で選任した。市町村長の諮問機関となり、権限は、減少された (エ) 郡に郡視学をおき、郡長の指揮命令をうけて、郡内の教育事務を監督させた。