昭和十二年(一九三七)の日華事変以後、闘う皇国民の育成をめざし、異常な戦時教育が展開された。そして昭和十六年(一九四一)小学校令を改正し、国民学校令を公布した。その主な点は(ア) 目標を「皇国の道に則り、皇国民の基礎的練成をする」という、非合理的な軍事的、生産的教育においた。(イ) 義務教育年限を八か年とした。初等科六年、高等科二年とする。(ウ) 国民学校の職員の組織待遇を改善した。この国民学校の構想はりっぱであったが、戦時体制下殆んど教育らしい教育を行うことができなかったのは遺憾の極みである。