1 学校の設立

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旧長柄地区の学校設立については、次表のように、資料によって多少の違いがあり、正確に判定することは困難であるが、明治八年(一八七五)頃までには、ほゞ形が整ったものと思われる。
沿革誌及村郷土誌長生郡誌明治八年文部省第三年報(千葉県教育史より)
明治六年十二月、山根校、山之郷校、長柄山校、庄吉校を設立(組合校)した。明治六年六月、山之郷学校、長柄山学校、山根学校、荘吉学校を起し、同七年一月、山根校御園辰五郎、荘吉校高吉佐一郎校長となる学校名創立年校舎教員数生徒数授業料
山根学校
山之郷学校
荘吉学校
明治七
明治八
明治七
寺院
新築
寺院


二五
三五
一二四


一七



 その後、明治一一年一〇月三〇日、国府里小学校を本校とし、附属分校として、中之台、長柄山、山之郷の三校を設け、荘吉校より分離した。校長は高吉佐一郎、教員は、訓導二、授業生三、生徒数は、男九五、女一八。(文部省第一〇年報)。尚、明治一三年七月から十二日迄の経費(沿革誌)をみると、一六三円四〇銭二厘で、その中区内集金一四四円七九銭八厘、授業料九円二五銭で、すべて住民の負担によっている。どうしたわけか、せっかく統合したこの学校も、明治一六年五月二四日には、わかれて、山根、味庄、中之台山之郷、睦成の五校となり、明治二〇年一月にまた二校に統合されるのである。