学校の歴史や、その時代の学区民の様子を知る上で、学校日誌や学校沿革誌は極めて貴重な記録である。県は明治九年(一八七六)七月「学校沿革誌及日記調整規則」なるものを通達し、その作成を促したが、その実施は、学校によりさまざまであったようである。ところが、明治三一年七月一〇日、長生郡長吉田精一は、「学校沿革誌」の編纂について具体的内容を示し、必ず作成すべき旨を訓示したので、どの学校も体裁を整えたのではないかと思われる。長柄小学校の沿革誌は、実に詳細に模範的に作成されているので、恐らくそれ以前から確実に記録されていたことと思われる。通達をみると、「一、学校ノ分合廃置及位置敷地ニ関スルコト」外一三項の記載事項を示し、郡長が検閲して、検閲結果の評や注意事項を付して返却することになっていた。考え方によっては、封建的とも云えるが、歴史を残す上では、大いに役立っていたといえよう。