17 国民学校の誕生

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昭和十六年(一九四一)長柄尋常高等小学校は、長柄国民学校と改称、初等科六年、高等科二年の八年間が義務制となった。この国民学校と云うのは、ナチスドイツのフォルクス、シューレを直訳したもので、決戦体制に合わせて考え出されたものである。この制度を推進するため、広田首相は、川崎造船の平生釟三郎を起用した。平生氏は「日本人がいつまでも世界文化の仲間入をせず、ひとりよがりをしてもいいならこれ以上の教育の必要はない云々」とし、教育の年限延長を考えたが、文部省は、欧米人と競争しても堂々と勝てる兵士を育てることに目標をしぼったことに大きな問題があったわけである。国民学校の教育は、学校を兵舎とみ、御真影を中心として、戦う国民の基礎的訓練に終始したわけである。