鴇谷校の沿革誌によると、明治二六、七年は、一月に開校式挙行とあり、同三三年四月一日開校式、同三八年四月一日入学式挙行となっているので、毎年度一月に開校し、入学は、年度途中でもみとめていたのである。それが、四月一日に一斉に入学するようになったのは、明治三三年頃からで、入学式という名称は、同三八年頃からのことではないかと思われる。ところが卒業式の方は、大体三月、定期試業後盛大に行なわれていたようである。明治三二年(一八九九)三月二五日、卒業式の記録をみると、「定期試業結了、免許状授与ス。立会ニハ村長代理目良書記並神崎花沢二学務委員、斎藤訓導ヨリ無欠席者ヘ精勤賞授与。次試験成績報告シ、優等賞状及免許状授与。最後ニ次ノ如キ訓辞アリ」即ち卒業生に対しては、進んで高等科に入学し一層勉励するとともに、本校で毎年卒業式を挙行する時は、是非祝典に参列することを希望、父兄に対しては、入学の期日が一定せず、七月、九月、一月とさまざまである。これは校令に違反するだけでなく、教授管理上極めて不便であるので、毎年四月中に必ず入学させてほしいと希望している。