12昭和のころ戦前

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特記すべきものに(1) 少年消防隊の活動がある、この結成は、昭和五年(一九三〇)七月一日であったが、その訓練の成果は高く評価され、各方面から注目をあつめた。次第に参観者も多くなり、昭和八年六月には、群馬県館林町から訓練の様子を視察にきている。また郷土教育の研究は極めてすぐれたものがあり、昭和八年一二月開催の郷土教育展覧会には、郡内から選ばれ県に出品好評をえている。当時作成した「日吉村郷土読本」は村の歴史を知る上ですぐれたものであった。
 昭和一六年には国民学校と改称、戦争に勝つための教育の概要を次表に記しておく。
 実施事項
行軍遠足412五・六年笠森鶴舞方面鍛錬行軍
424全校長柄へ鍛錬行軍
4・28~5・6体力増進強調週間
527高等科一宮海岸へ自転車行軍、砂運搬
1016体育鍛錬会
121強歩訓練
119耐寒マラソン 冬季鍛錬、一週間
312戦捷祝賀行軍 各部落神社へ
武道鍛錬716・20武道研究会
89・10薙刀講習会 奥田、鹿間両訓導講師
925第三支会主催武道講習会、参会七十名
団体1110国民精神作興証書下賜記念日
628神饌田お田植式
観念養成毎月一日興亜奉公日(神社参拝など)
毎月一回御影奉見奉仕
128米英宣戦布告
毎月八日大詔奉戴日
戦時訓練

食糧増産
食糧増産協力
繩ない作業、毎月、成績グラフ表示
815~21特別防空訓練実施
避難防空訓練
団栗採集出荷
その他以後、二十年まで、学業は軽く、鍛錬訓練行事が強化され、空襲の危険強くなる
昭17・34午后六時最初の警戒警報発令
35午前八時二十分空襲警報発令、児童避難九時十五分解除されたが防空ズキンに身を固めて登校する