3小学校試験規則

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学制の初期は、試験・試験で子供は苦しめられたのではないかと思われる。明治九年六月、安藤一郎という学区取締が、茂原校へ近傍数十校の生徒を集め定期試験を行ったが、昇級者は三五名にすぎなかったという。又柴原和知事も、同年一〇月、各校の優等生(刑部は五名)を集め、学業を監視したというから、テストでもしたものであろう。その後同一四年「試験規則」が整備されたが、その中の一、二をみると定期試験ノ成績の区分を、(ア) 合格、合計点ノ5/10以上の者 (イ) 優等。紅色優等合計点の9/10以上の者、緑色優等合計点の8/10以上の者。とし、各等卒業者は優等を一、二、三等賞に分けている。刑部校の合、不合格数は前表の通りである。
試業成績(刑部校)
試業成績(刑部校)
年 度四月十一月年 度四月十一月
受験合格受験合格受験合格受験合格
明一一五二五〇五三四〇明一七中等三
同一二四七四五七四六七 一七七七七四七七七五
 一三不明 一八中等四
 一四六七五八六五六三 一八初等六
 一五六七六四七七七五 一八定期六二四四七〇六〇
 一六七三七三八二八一 一九七四七二八〇七九