4校舎新築と教育内容の充実

579 ~ 580 / 699ページ
明治二〇年(一八八七)一一月三日、刑部字島田に、刑部尋常小学校が新築された。費用は総額、二六三円七五銭九厘五毛で、その中一一三円一〇銭は、村上光之助外六七名の篤志寄付によるものである。
 落成式当日は、村民の喜びで極めて賑った。当日の祝辞や謝辞が太田進家に保存されているが、祝辞、訓導太田弥三郎。刑部外五か村戸長、近藤平六郎、内藤三郎平。謝辞、生徒代表大熊春吉、近藤民吉の原稿をみると、隔世の感にたえないものがある。その後、学校教育内容や状況の変遷を個条的にのべて、当時の学校の様子を知る手がかりとしたい。
 明治二一年(一八八八)二月十三日温習科設置、修業年限一か年、教科目は修身、読書、作文、算術、
 同 二四年二月一一日 勅語謄本下賜
 同 二五年四月より級長をおく、教師の命により内外の世話をさせ、清掃作業も生徒に行なわせる 修業年限四か年とし教科目は、修身、読書、作文、習字、算術の五科目とした 十二月九日、補習科をおく。授業は毎日正科時間外三時間、修業年限二か年とする。
 同二九年九月一日 教場区画に衡立を設け二学級編成となる
 同三四年校風は素朴で教師長上を尊敬することを定める。そのため校内にては、机、腰掛、下駄箱等環境を整える。子ども相互のよび名は、姓名のしたに「サン」をつける。清掃は一日二回で一回は雑布がけをする。
 校外指導を重視し、全校生徒を九部落に分ち、二―四名の世話係をおき、次の件の徹底をはかった。(ア)名前をよぶ時は「サン」づけする。(イ)途中遊びはしない。(ウ)知人に挨拶する (エ)長者を敬い (オ)楽書をしない等
 同 三十五年九月二十八日暴風雨のため校舎の被害大。