5高山学校

580 ~ 581 / 699ページ
 高山学校本校は、下の位置書上書によると、不動寺を仮校舎とし、高山、大津倉、大庭、笠森、深沢の五か村聯合で、明治六年三月に設立され、米四石八斗を一一月に集めて学校経費に充てていた。その後、高山村では、一九五円を積立て、月一円五六銭の利子(一円に付九厘)を、学校経費にあてるようにした。
 明治一五年(一八八二)一一月三日、新築校舎が落式し、盛大な祝典が催されたが、大久保八郎校長の式辞によると「我聯合学区人民協和一致、学舎ヲ建築ス。……本校、如斯ノ成果ヲ得テ今日ノ盛典アルハ、前ノ郡長大野君ノ奨励懇篤ト有志ノ勉力ニ依ル……」と述べて、落成を感謝している。現在、この校舎は、三沢谷雲頂院の本堂として使用されているが、当時としては、すばらしい校舎であったことが、うかがえるのである。
 
  高山校位置書上書
 小学区位置 第四十区一画 上総国長柄郡高山村
 仮小学校 不動寺
      高山村 戸数四十七軒人員二百二十一人
      大津倉村〃 七十一軒〃 三百六十人
      大庭村 〃 五十三軒〃 二百七十二人
      笠森村 〃 三十五軒〃 百八十三人
      深沢村 〃 二十五軒〃 百三十人
合 五ケ村二百三十一軒人員千百六十六人
一金 弐円  教師一人給料
一金 壱円  世話役一人給料
一金 壱円  書籍器械購入費
一金 半円  炭薪茶油類費用
一米 四石八斗 小学校江積石高但当面年十一月集米
 右之通取極奉書上候 以上
 明治六年三月
    高山村 小宮重吾 大津倉村 篠田久平
    大庭村 木村久郎治笠森村 今井仙治郎
    深沢村 長嶋市蔵
木更津県令  柴原和殿
 前書之通相違無之候、学区取締 常泉文三