昭和一六年一二月八日の対英米宣戦布告を境にした太平洋戦争とよばれる段階に突入して以後戦死及び戦病死の数は飛躍的に増大した。しかも終末が敗戦という事態を迎え、もっとも実際的な事務を取り扱った末端の市町村役場の名簿その他が、焼失あるいは故意に破棄せられた為に、この尊い国の為に犠牲となった人たちの実態が明らかとなっていないのが現状である。陸軍の戦死・戦病死者は合わせて約一一三万名、海軍は約一五八、〇〇〇名、合わせておよそ一三〇万名にも及ぶというが、その実数は正確には今もなお不明である。この長柄町の場合も、別記のごとく長柄町全般で三五五名を数え得るのであるが、長柄町慰霊塔合祀者数は三五一名で、四名の合祀洩れと見られるものがある。高吉基委員が専心、この調査にあたられたのであるが、遺族の所在も判らず、戦没時の階級も日時も百方手をつくしたが辿り得ないものが若干名ある。一部不明のものも加えれば二一名が正確でない点がある。この中には当時疎開の為、一時この地に寄留し、召集を受けて出征し、家族もまた他に移住した為に、その部落の人たちにとっても全く記憶に残らないという人もあるようである。これらすべての人たちはみな尊い生命を国の為に捧げた人であることを考えると、深い哀悼の意を表したいと思う。
もしお気づきの方があったら町役場の住民課へでもお知らせ賜わりたい。このことをまずお願して、次にその方々の名簿をかかげる事としたい。
これら戦没者の遺族の間の連絡、相互扶助及び追悼の行事などの連絡のために長柄町遺族会が昭和三〇年結成され、活発なる活動を続け今日に至っている。歴代会長として次の方々が就任されている。(任期二年)