内藤三郎平

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篠網・内藤家に天保三年生。代々名主であり、私塾を開き子弟の教育にあたっていたが、明治六年刑部校の開設には戸長として努力。教育界に対する献身的な尽力のほかに草創期の地方制度の調査立案に功あり、特に明治十四年刑部村外一五村の連合会議員として、針ケ谷坂の開通及び地域の道路改修工事の推進に力を注いだ。大正六年五月八四才にて歿。