鴇昌清

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鴇谷・鶴岡家に明治二八年八月生。日輪寺鴇昌海の室に入り、のち東都に学び豊山大学卒。大正三年玄国寺、昭和一六年薬王院に住職、寺門の復興につとめ、また宗内の要職を歴任。豊山高校々長となり、昭和三二年真言宗豊山派管長に推され、総本山長谷寺第七二世となり、さらに任期終了後、再び管長の職に推され、昭和四〇年三月没七〇才。性豪毅にして明敏、宗の内外から尊敬された。大僧正。