[近代日本の出発]

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 明治維新の時期や意義については諸説があり、必ずしも一致していない。狹義に解する者は、慶応三年(一八六七)の大政奉還から明治四年(一八七一)の廃藩置県までとしているが、一般的には、江戸幕府の崩壊から士族の大規模な叛乱の終息した明治一〇年ころまでの政治上の大改革を指すものと考えられる、幕府崩壊の始期にしても、天保改革期におくもの、嘉永六年(一八五三)のペルリー来航におくもの、安政五年(一八五八)の日米通商条約不勅許におくものと様々である。筆者はここでは、幕藩体制の内部矛盾を一挙に露呈させた外圧、即ち黒船来航時とするのが妥当であろうと考える。
 この明治維新により一挙に日本の近代化が達成されたわけでない。封建制度の残滓(し)を内包したままの改革も多く、封建的遺風が払拭されるのは、昭和二〇年の太平洋戦争終結以後にまたなければならないのであるが、そのため明治維新の評価が下がるものでない。武家政治の消滅、中央集権政府の樹立、身分制度の廃止、経済の資本主義化、立憲政治への移行、西洋文化の摂取等、その政治、経済、社会、文化万般にわたる大変革は、日本史上前例をみない大規模なものであり、それはまさに狂瀾怒濤の時代であった、倒幕運動・大政奉還に引続いて版籍奉還、廃藩置県、地租改正、殖産興業等の諸施策が、四民平等、開国進取の国是の下に矢つぎばやに展開されたことは驚異といわなければならない。
 今からおよそ百年前、われわれの祖先は、この大変革をどのように受止めたのであろうか、徳川封建体制下の生活とどのように変ったか、また、変らなかったか。
 前章で述べたように、郷土は幕府の直轄地、旗本知行所、譜代大名の領分であった。いわば、公方様のお膝元であり、常識的に考えれば幕府滅亡の衝撃を最も強く受けた地域のはずである。しかし、郷土史料で見る限り、われわれの祖先があわてふためいた形跡はあまり認められない。武士階級でさえも、譜代の房総諸藩中朝廷軍に抵抗したのは請西(じょうさい)藩一万石だけである。農民にとっては支配者が変っただけであり、土地を守り、土地を耕す生活には大きな変化はなかったのであろう。
 この節では、王政復古から鶴舞藩、鶴舞県、木更津県、ついで千葉県成立の初期まで、行政機構の変遷に対応しながら郷土の人々の生活をさぐってみたい。