旧幕残存勢力との戦いが未だ収まらぬうちから、新政府は精力的に新政の基本理念を天下に示し、新しい政策を次々と施行した。この大変革を推進したのは、薩摩、長州、土佐、肥前を中心とする諸藩の下級武士たちである。後の史家は、彼等の政治を薩長藩閥政治と非難し、また、明治維新は下級とはいえ武士階級による革命であり、西欧的市民革命と本質的に異なるとも指摘する。しかし、下級武士出身者の命をかけた決断力と実行力は、諸侯や公卿には期待できないものであり、そこに維新回天の事業の可能性があった。明治初期、中央政府の高官から地方官に至るまで政治的情熱に燃えていたが、それは、この下級武士出身行政官の理想とエネルギーに由来するものであった。ともあれ、天皇中心の新しい政体をつくり出した根元は、大政奉還のいきさつから見なおさなければならない。それは、諸大名による公議合体派と下級武士出身者による天皇親政派との激突であった。