封建社会は身分制度の社会である。江戸時代には士・農・工・商という身分差があったが、更に、それぞれの身分の中にも数限りない階級差があった。百姓に、地主・自作農・小作人の別があったように、武士にも上士と下士の間にたくさんの身分差があった。
明治政府は、封建的身分秩序を消し去るため、版籍奉還と同時に公卿・諸侯の名を廃して華族と改め、武士を士族、百姓・町人を平民とした。江戸時代には人間扱いされなかった賤民も平民に列した。そして、士族、平民の別なく文武の官に就くことが許された。士族、平民の区別は次第に薄らいでいったが、華族には、明治一七年に公・侯・伯・子・男の爵位が与えられ、貴族院議員となる資格を得て特権階級として復活した。
武士階級の特権にとどめを刺したのは、明治五年に発布された徴兵令である。男子が二〇才に達すると、士族・平民の区別なく兵役に就き、国防の任に当たることが義務づけられた。百姓に戦いができるかと侮っていた士族も、相次ぐ士族の反乱を百姓出の鎮台兵が打破るに及んで、その特権意識を完全に粉砕された。
身分制度は一挙に払拭されたわけでない。しかし、明治政府のうたった四民平等の思想は、江戸時代の武家中心の社会を否定し、国民全体の社会へと方向づけたことは否めない。