5 人民教諭書

633 ~ 634 / 699ページ
郷土の村々から、木版刷りの「人民教諭書」がよく発見される。鶴舞県歴史には、明治二年一一月二五日頒布す、とあるが、木版刷りの日付けは巳(み)(明治二年)一〇月になっている。鶴舞県勧農方から発せられた人民教諭書は次の如くである。
 
     人民教諭書
 一、従 朝廷 仰出之趣弥(いよいよ)堅ク可相守
 一、天子様ト申上奉ルハ天照皇大神宮様ノ御子孫ニマシマシテ此世ノ始ヨリ日ノ本ノ御主ニテ誠ニ尊キ事譬(たとえ)候ニモノ無ク敬フ可キ事ナリ又一尺ノ地モ一人ノ民モ皆天子様ノ御宝ラニテ多クノ父母ニ立セ賜ヒ日ノ本ニ生レシ人々ハヒトシク皆赤子ト思召(おぼしめ)シ一人トシテ安堵セヌ者モ無キ様ニト昼夜叡慮ヲ労セラレ追々厚キ御慈悲ノ被仰出モ有之ニ付何レモ難有相心得家業出精致シ申ヘキ事

人民教諭書(榎本 川崎主計家蔵)

 第三項は親孝行を、第四項は家業出精を、第五項は質素倹約を説き、第六項は喧嘩(けんか)口論公事(くじ)訴訟を戒め、第七項は人命の尊さを説いて間引(まびき)を禁じている。概ね江戸時代と同じであるが、各項とも天皇の神格化を図っていることが目立つ。徳川将軍以上の絶対者にまつりあげようとする意図が明白である。このうち、間引の戒めは、木更津県になってからも重要施策として取りあげられ、初期千葉県の特色ある政策のひとつとなった。

鶴舞藩勧農方から発せられたわかりやすい悪の戒め(榎本 川崎主計家蔵)