明治四年(一八七一)七月一四日、井上正直が鶴舞藩知事を免ぜられ、同時に藩を廃し、県が置かれた。房総の地には、旧来から宮谷県と葛飾県があったが、旧藩が総て県となったので、合せて二四県となった。現在の千葉県域で数えたので、結城県と古河県は除いてある。全国では三府三〇二県となる。
廃藩置県により、各藩知事は東京に在住することとなった。ここに、旧藩主と土地・人民の関係はいっさいたち切られ、全国津々浦々まで中央政府の任命した官吏が統治することとなり、中央集権的近代国家の基礎が確立した。
新県の統治は、旧藩の大参事以下に仮に事務をとらせ、大事は中央政府の決裁を仰がせた。それも、僅か四か月程で木更津県が設置されたので、ほとんどが引継ぎのための事務整理であった。