13 民会

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先ず特筆すべきは、全国に先がけて、県会ともいうべきものを開いたことである。
 明治五年七月、各町村において惣代人を選出させた。戸数百軒までの町村は一人、百軒以上二百軒までは二人、三百軒以上は総べて三人ずつ惣代人を選挙し、更に管内を九区に分けて、惣代人が選挙人となって、各区から二人ずつ代議人を選出した。
 明治六年二月一九日に頒布された議事則は、1議事の基本 2代議人の員数等 3議事の職務 4議事の規程 5代議人にあらざる者の建言 6議事則の六章から成っている。第一条で「夫(それ)県庁ハ人民ヲ保護スル者ニシテ人民ヲ抑制スル者ニ非(あら)ス」(16)と、行政の基本姿勢を示し、民意を聞くため代議人を選び議事を行なうものであるとし、更に代議人以外からも建言を聞く道を開いている。民益を図るため、五〇万余の人民といちいち相談すればよいのであるが、それは不可能なことであり、そのために代議人を選び、大いに民事を議せんとするものである。というような箇条は、柴原和及びその下僚が西欧的議院内閣制の基礎知識をもっていたことを示している。議事則の内容は、多分に説明的、啓蒙的であるが、それは変革初期の法令に共通するものである。また、木更津県の議会が座談的であり、現在の議会と比べるすべもないことはいうまでもないが、明治六年既に民意を聞こうとする姿勢は、時代的にみて異色な先進的施策であったといえる。