明治4年11月 木更津県高札(力丸 石川鎮家蔵)
宿村の売女、酌取女は、遊女渡世にまぎらわしいので制禁している。このような場合は、その制禁理由を啓蒙的あるいは説諭的に長々と述べている。風俗を乱し、財を失うことからはじまり、癥毒(ばいどく)の恐ろしさまで懇々と諭すという懇切さであった。
農村を浮浪する浪士も後を絶たなかった。「近来浪士ト唱ヘ、雙刀又ハ一刀ヲ帯シ」村々を徘徊して休泊または金銭を無心する者があると聞くが、戸籍編成の上はこのような脱籍浮浪の徒はいないはずである。このような者が回村して来たら捕えて置き、県庁へ知らせるように、というものである。江戸末期と少しも変っていない。むしろ、版籍奉還、廃藩置県により増加したとも考えられる。中には、妻子を伴って流浪していた者もあった。
農村で物を乞うのは浪士だけでない。純然たる乞食(こじき)も多かった。このような者に食物や金銭を与えることは、却って不慈であるから与えてはならない。入籍させて追々独立の生計が立つようにせよ、と布達されても、戸長や村人だけで救済できるものでない。県の行政機構の未熟と財政的裏付けの薄弱さにより、町村だけでは実行不可能と思われる布達が多かった。