明治六年(一八七三)一月二五日付けの「家屋建築勝手次第」という布達は、新時代の到来を思わせ、農村への影響の大きいものであった。
「家屋ノ儀ハ人民私有ノ財ヲ以テ自由ニ建築致シ不レ苦儀ニ候処、総房ノ風習ニテ上農以上長屋門ヲ建テ、中農以上玄関ヲ設ク等、兎角門閥ヲ以テ制限ヲ相立、自主ノ権ヲ妨ケ候儀有レ之、心得違ノ事ニ候条、自今四民一般長屋門、玄関ノ結構ハ勿論其ノ力ニ応シ大理石、煉化石造並三階五階ニ造立等ノ儀総テ可レ為二勝手次第一、此段相達候事。」(18)
自由とか自主の権といったことばを使い、なかなか進歩的な面がうかがえる。理想に燃えた官吏の行政姿勢の現れである。保守化する前の行政は、開明的であった。これ以後、農村に長屋門が急増した。都市には、大理石や煉瓦造りの建物も見られるようになった。