江戸時代は、男女混浴のところがあったらしく、布達で混浴を禁じている。郷土には公衆浴場は無かったであろうから、町場、宿場の浴場のことと考えられる。男女入込湯は田舎の風習で、文明社会にはあるまじきこととして厳禁している。しかし、早急に施設の改良はできないので、湯屋仲間が協定し、男女隔日に入浴させ、なるべく速く浴槽を改作して二つに分けること、ただし、別浴にした場合は、これまでの湯銭より相当額値上げすることを認めている。なかなか、きめの細かい行政指導であるが、湯銭の値上りは、庶民にとって痛いところである。
家屋建築制限の撤廃、男女混浴の禁など、新時代の到来を思わせる布達が多く、倒幕の手段として喧伝された攘夷運動もいつの間にか禁制事項となった。
木更津県の東京湾岸の村々には、横浜居住の外国人が遊歩のため渡航上陸するかもしれないので、その節には入念に扱えとの布達もある。
木更津県の布達の多くは、旧来の陋習の打破に焦点づけられている。売卜陰陽師(ばいぼくおんようし)の取締り、冠婚葬祭の節の倹約令、人身売買の禁、官員への音物(いんもつ)の禁、若者仲間への若年者加入の禁(男子は一〇才余から加入していた)闘鶏による賭事の禁、発砲の禁などである。しかし、長い間の習慣は一朝にして打破れるものでない。これらは千葉県に引継がれ、徐々に消滅あるいは改革されていくものであった。