なお明治以降の近代文書は旧日吉・水上役場関係は昭和二〇年秋にほとんど焼却・破棄せられた為、残存文献がはなはだ僅少で、叙述にあたつて均衡のとれない部分が生じている。特に軍事・警察・消防に関するものは皆無とも言うべきであった。幸に日吉地区の消防については故増田委員長が個人として保管せられていた資料をもとに執筆せられた原稿があった為にその全容をほぼ明らかにする事が出来たが、他地区は宮沢委員の努力にもかかわらず、僅かにその一斑を明らかにするに止まったが、この方面のかくれた資料の出現を今後に期したい。なお近世末より近代にかけての農村の階層分解の過程、および町合併時における諸般の経過などは、委員会において討議の結果、意識的に避けて採り上げない事とした点も読者の御諒承を頂きたいと思う。
かえり見ると故岡本町長の意を受けて、当時総務課長の職にあった宮沢委員が、計画立案せられて町史編纂委員会が結成せられてから十五年、歴代町長はじめ各当局者の御援助と、各顧問・委員の協力一致が、発足当時何びとも予想し得なかった合せて二千頁をはるかに超える巨冊となって世に送られることとなったことに対し、喜びと共に深い感慨の湧くを禁じ得ないものがある。この間、諸委員の労作に対し、編集長の名のもとに、私意をもって削除、あるいは加筆を行った私に対して、寛容にも御許しを頂けたことに対してここで深くお詫びと御礼を申上げたい。
この長期にわたる編纂刊行の間、発足当時の岡本郁朗前町長をはじめ増田義朗前委員長、および高吉基委員、種々御指導いただいた江沢半顧問など幽明境を異にしておられる方々の御霊前に謹んでこの一冊を捧げると共に、深い御理解と御援助を頂いた町内外の諸賢に厚く御礼の言葉を述べると共に、今後の御指導を御願申上げたいと思う。
なお出版は本篇と同じく、小宮山慶一氏の御配慮にあずかり、印刷は芳山印刷株式会社に御願した。編集・校正などすべてを担当し、かつ多忙な教務に従っている不敏・不才の私のために、意外な長期間にわたる事となり、多くの手落ちのあったことを実務に携った皆様方にもお詫び申上げる次第である。特に伊藤富夫教育長は総務課長在任中より引続いて煩雑な実務にあたられ、事実上の推進力となって下さったことに対してふかく御礼申上げたい。
昭和五十八年春 永井義憲
長柄町史編纂委員名簿(昭和五七年現在) |
役 職 | 氏 名 | 生(歿)年 | 住 所 | 略 歴 |
委員長 | 永井義憲 | 大正三年 | 長柄町鴇谷 | 大正大学教授を経て(現)大妻女子大学教授。文学博士。町文化財審議会委員長。 |
副委員長 | 篠田惣次 | 大正二年 | 同 大津倉 | 教育庁夷隅・山武地方出張所長・茂原小学校長・(現)町教育委員長・町文化財審議会副委員長 |
委 員 | 成島孝太郎 | 明治四五年 | 同 山之郷 | 町議会議長・(現)人権擁護委員 |
同 | 大和久忠敬 | 大正九年 | 同 山根 | (現)町文化財審議会委員 |
同 | 宮沢清之進 | 大正八年 | 同 山根 | 町教育長・町議会議員(現)国保連合会監事 |
同 | 大野達雄 | 大正一三年 | 同 刑部 | 教育庁千葉地方出張所長(現)茂原小学校長・町文化財審議会委員 |
同 | 大高禅澄 | 大正二年 | 同 刑部 | 町史事務局長(現)町文化財審議会委員 |
同 | 仲村多治見 | 明治三〇年 | 同 桜谷 | 日吉小校長・日吉村会議員など経任 |
同 | 増田義朗 | 明治二二年 (歿)昭和五三年 | 同 徳増 | 日吉村長その他各種団体長経任・初代町史編纂委員長 |
同 | 高吉基 | 明治三一年 (歿)昭和五二年 | 同 国府里 | 千葉医大事務室勤務「医大八十五年史」事務担当 |
顧 問 | 川村優 | 大正一五年 | 白子町八斗 | (現)県史編纂室長 |
同 | 海保四郎 | 大正四年 | 茂原市高師 | (現)茂原市教育長 |
同 | 江沢半 | 明治四三年 (歿)昭和四七年 | 睦沢村長楽寺 | 考古学を中心に地方史関係に論文多数発表 |