後記

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 昭和四十三年一月、町史編纂委員会が発足以来九年を経て『長柄町史』が刊行せられた。本文七〇〇頁・研究篇四六六頁の大冊であったが、なお明治以降は略説にとどまり、当時ほぼ近代以降を中心として約四〇〇頁を割愛せざるを得なかった。止むを得ず年刊の小論文集の形をとってでも公刊したいと考えていた所、幸いに川嶋美董町長を始め、町当局者の理解ある御配慮によって続篇が刊行出来ることとなった。一応この続篇は千頁と予定して、三年間と期限を定めて補訂を行う事とし、新しく明治初年以降の資料の採訪・調査につとめたのであるが、ここでも予想外に新しい資料が続出、稿をまとめると、およそ二〇〇頁の超過を予定される事となった。予算の上から一千頁に限定されたのですでに初校が終了していたのではあったが、第九章の「文化財」第十章の「口誦文芸」(昔話・伝説・謎(なぞ)・諺(ことわざ))の全てを削除した。文化財についてに既刊の『長柄町の文化財』(昭和五五年三月刊)を増補改訂して近く刊行の予定があり、口誦文芸についてはその大部分は『長柄町の民俗』(昭和四七年二月刊)と重複するので残念ではあるが割愛したのである。また第十一章に予定していた「長柄町の金石文」(大高委員担当)も主要なものは本文の註などに引用しているので後日の機を待つこととなったのである。執筆は「序章」「略年表の近世・近代」を大野委員、第一章「現代の長柄町」第七章「消防と警察」を主として宮沢委員が担当。第九章および「略年表の古代・中世」を永井が執筆したが、そのうち「俳諧」は秋山・青木両氏の御協力を得、「方言」は仲村委員が執筆した。その他のほとんど全ては篠田委員が、旧稿を補訂改稿し、あるいは新しく執筆した。資料の調査・提供には全委員、及び役場関係者の協力を得たのは勿論であるが、もし篠田委員の精力的な努力と積極的な推進力が無かったならば、到底この大冊は刊行され得なかったものと思われる。興味深く、しかも正確に、やさしい表現で町民の全ての方に読んで頂きたいという、町史編纂事業発足当時の理想はある程度実現出来たものと私は考えるのであるが、全委員の協力の結果とは言いながら、特にこの『続篇』については篠田委員の非常なる努力の結果であることを特記して謝意を表したい思う。なお永井署名論文「長柄町の地名・屋号・および社寺」の中に収載予定であった長柄町全戸の「屋号調査表」は大高委員の努力によって作製せられたもので、まことに貴重な調査であったが校正完了後に一部に不備の点あることに気づいた為、急に削除に決したので、その前に記された説述の部分と首尾整わない点のある事を御諒承賜わりたい。
 なお明治以降の近代文書は旧日吉・水上役場関係は昭和二〇年秋にほとんど焼却・破棄せられた為、残存文献がはなはだ僅少で、叙述にあたつて均衡のとれない部分が生じている。特に軍事・警察・消防に関するものは皆無とも言うべきであった。幸に日吉地区の消防については故増田委員長が個人として保管せられていた資料をもとに執筆せられた原稿があった為にその全容をほぼ明らかにする事が出来たが、他地区は宮沢委員の努力にもかかわらず、僅かにその一斑を明らかにするに止まったが、この方面のかくれた資料の出現を今後に期したい。なお近世末より近代にかけての農村の階層分解の過程、および町合併時における諸般の経過などは、委員会において討議の結果、意識的に避けて採り上げない事とした点も読者の御諒承を頂きたいと思う。
 かえり見ると故岡本町長の意を受けて、当時総務課長の職にあった宮沢委員が、計画立案せられて町史編纂委員会が結成せられてから十五年、歴代町長はじめ各当局者の御援助と、各顧問・委員の協力一致が、発足当時何びとも予想し得なかった合せて二千頁をはるかに超える巨冊となって世に送られることとなったことに対し、喜びと共に深い感慨の湧くを禁じ得ないものがある。この間、諸委員の労作に対し、編集長の名のもとに、私意をもって削除、あるいは加筆を行った私に対して、寛容にも御許しを頂けたことに対してここで深くお詫びと御礼を申上げたい。
 この長期にわたる編纂刊行の間、発足当時の岡本郁朗前町長をはじめ増田義朗前委員長、および高吉基委員、種々御指導いただいた江沢半顧問など幽明境を異にしておられる方々の御霊前に謹んでこの一冊を捧げると共に、深い御理解と御援助を頂いた町内外の諸賢に厚く御礼の言葉を述べると共に、今後の御指導を御願申上げたいと思う。
 なお出版は本篇と同じく、小宮山慶一氏の御配慮にあずかり、印刷は芳山印刷株式会社に御願した。編集・校正などすべてを担当し、かつ多忙な教務に従っている不敏・不才の私のために、意外な長期間にわたる事となり、多くの手落ちのあったことを実務に携った皆様方にもお詫び申上げる次第である。特に伊藤富夫教育長は総務課長在任中より引続いて煩雑な実務にあたられ、事実上の推進力となって下さったことに対してふかく御礼申上げたい。
   昭和五十八年春                                  永井義憲
 
長柄町史編纂委員名簿(昭和五七年現在)
役 職氏 名生(歿)年住 所略     歴
委員長永井義憲  大正三年長柄町鴇谷大正大学教授を経て(現)大妻女子大学教授。文学博士。町文化財審議会委員長。
副委員長篠田惣次  大正二年同  大津倉教育庁夷隅・山武地方出張所長・茂原小学校長・(現)町教育委員長・町文化財審議会副委員長
委 員成島孝太郎  明治四五年同  山之郷町議会議長・(現)人権擁護委員
大和久忠敬  大正九年同  山根(現)町文化財審議会委員
宮沢清之進  大正八年同  山根町教育長・町議会議員(現)国保連合会監事
大野達雄  大正一三年同  刑部教育庁千葉地方出張所長(現)茂原小学校長・町文化財審議会委員
大高禅澄  大正二年同  刑部町史事務局長(現)町文化財審議会委員
仲村多治見  明治三〇年同  桜谷日吉小校長・日吉村会議員など経任
増田義朗  明治二二年
(歿)昭和五三年
同  徳増日吉村長その他各種団体長経任・初代町史編纂委員長
高吉基  明治三一年
(歿)昭和五二年
同  国府里千葉医大事務室勤務「医大八十五年史」事務担当
顧 問川村優  大正一五年白子町八斗(現)県史編纂室長
海保四郎  大正四年茂原市高師(現)茂原市教育長
江沢半  明治四三年
(歿)昭和四七年
睦沢村長楽寺考古学を中心に地方史関係に論文多数発表