ヨーロッパでは、昭和一三年ドイツがオーストリアを、続いてチェコスロバキアを併合、翌一四年(一九三九)九月一日ポーランドに進攻するに及んで、九月三日英・仏はドイツに宣戦を布告した。ソ連も、独軍のポーランド侵入と同時に、北からポーランドに進出した。一五年に入り、イタリアも英・仏に宣戦布告、ヨーロッパは戦火の巷と化した。
既に広東から海南島まで進出していた日本軍は、昭和一五年九月二三日、北部仏領インドシナに進駐、翌一六年南部仏領インドシナにも進出したが、同年一二月八日、ハワイ空襲、マレー上陸により、米・英・蘭と全面戦争に突入した。続いて独・伊もアメリカに宣戦布告、世界の主要国を網羅した大戦へと発展した。
日本の目あては、東南アジアを占領して資源を確保し、長期戦に備えることにあった。米国がヨーロッパ戦線に全力を傾けている間は、作戦は容易に進行し、オランダ領インドシナ・フィリピンからビスマルク諸島、ソロモン群島まで手を伸ばしたが、アメリカ合衆国の強大な工業力が戦力となるに及んで態勢は逆転した。ヨーロッパでもモスクワ攻略に失敗した独軍が次第に劣勢となり、昭和一八年(一九四三)先ずイタリアが無条件降伏し、昭和一九年六月六日、ノルマンディに上陸した連合軍は独本国に進攻し、昭和二〇年(一九四五)五月七日、ドイツも無条件降伏した。
昭和一七年六月五日、ミッドウェー海戦に大敗した日本軍は、制海制空権を失ない、米軍の反攻により占領地を次々と奪い返えされ、昭和二〇年六月二三日沖縄守備隊が全滅し、続いて八月九日、ソ連軍が満州に進攻、南と北とから壊滅状態となった。八月六日広島に、続いて九日長崎に原子爆弾が投下され、八月一五日、無条件降伏した。