町村合併問題は、昭和二七年(一九五二)七月の、シャウプ税制使節団による日本政府への勧告が一つの動機となったようであるが、実際の必要からも、小規模な町村では、複雑化してきた町村事務を、新しい地方自治法の本旨に沿って処理することは不可能であるという声が、既に昭和二五年頃から、全国的に高まっていた。千葉県でも昭和二五年五月の野田地区四町村の合併を皮切りに、昭和二六年三月佐原地区四町村、同年四月小見川地区四町村大網地区三町村、流山地区三町村、多古地区二町村、昭和二七年四月一日茂原地区六町村の合併が実現し、残余の町村についても漸次合併の気運が高まりつつあった。千葉県の町村規模を見ると、二九〇か村のうち、人口七千人未満の町村が二四八か町村八六%を占め、町村面積も一町村平均一六km2であり、他府県と比較してもきわめて狭く四六都道府県のうちの四三位であった。
昭和二八年に至り、全国町村会、全国町村議会議長会等の提唱に基づき、参議院地方行政委員会委員より、町村合併実現のための障害除去と、合併後の新町村の育成を目途とした町村合併促進法が国会に提案され、同年八月八日、国会通過、九月一日に法律第二五八号として公布、一〇月一日から施行された。