合併新町を育成するにあたり、当事者の最も心をくだいたのは、新町一体化の確保、財政力の充実強化の二点であったことはいうまでもない。合併初期においては、旧村単位の利害を露骨にあらわすこともあって、旧村の住民感情を一体化し、各種の事業を実施することは困難なことが多かった。
一体化確保のために実施した主要な事業を述べると、(一)は教育において、日吉中学校、水上中学校を廃し昭栄中学校を設置したこと、(二)は住民の日常生活をより豊かに、より利便にするため合併時から日吉村において経営していた有線放送事業を幾多の曲折を経て新町全域に整備拡充したこと、(三)は、役場庁舎を新町のほぼ中央と見られる桜谷に建築したことである。役場庁舎は地域住民の象徴的存在となるものだけに住民の関心は非常に大きかった。役場庁舎の完成した昭和三八年を境として、新町の建設諸事業はより円滑に、しかも強力にすすめられることになった。