地方財政の困窮の原因を知るには、わが国地方自治の生いたちにかかわる特殊な事情を考慮しなければならない。わが国の地方団体が一応近代的な形になったのは明治二一年の市町村制、次いで同じく二三年の府県制実施からのことである。当時の我が国としては富国強兵策をとっていたので、地方に対しては法律や命令によって国の方針にもとづく、いわゆる委任事務を強制する方法をとったのである。
このために、形式的には地方自治の建前はとられたものの、わが国の地方行政には発足当初から中央集権的な色彩が濃く、地方の自主性は著しく制限されたものだった。
収入は主として、地租、営業税、家屋税などの国税の付加税(国税としての税額に一定の率をかけて地方税の額とする課税方法)によったため、国の方針に左右され、充分な財源を調達することが困難であった。
このような事情は第一次世界大戦を境として資本主義経済が高度な段階に入り、経済の発達が個人の間に貧富の差をつくりだすのと同じように、地方公共団体にも全くこれと同じ傾向があらわれはじめた。
その後、日華事変、太平洋戦争と戦時体制に入るようになって、国の統制が強くなる一方、地方財政の比重は相対的に小さくなって、地方団体は事実上国の単なる行政区画にすぎないことになったのである。