桜谷耕地整理組合

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日吉村桜谷区の耕地整理は、明治四四年(一九一一)七月一日、県の認可を得て九月に着工、二か年の予定で始められたもので、本町では、耕地整理法に基づく最初のもので、郡内でも注目に価するものであった。次に、仲村多治見家文書によって概要を記そう。
(ア) 組合設立申請。明治四四年五月一四日、県知事告森良宛に提出。代表者は次の一一名。鹿間政太良。阿部和一 仲村玄造。鹿間粂造。鹿間惣次郎。山田定吉。柴崎兼吉。仲村源七。阿部理作。鹿間定吉。阿部徳次良。

(イ) 工事計画
 ○ 工事施工の目的は「……従来ヨリ敢テ用水量ノ不足ヲ来セシコトナキモ、地区下部ニ属スル畑地面積五町三反歩(五・三ヘクタール)余ヲ変換シテ耕田トナス時ハ、永遠ニ於ケル収益ヲ獲得スルヲ以テ、所有者相図リ、個人変換ヲナサントスルモ、地面ノ傾斜甚ダシキノミナラズ、用水量ノ関係上、其ノ上部ノ耕田ヲ加ヘ規正ノ面積ヲ画シテ整理ヲ施行セントス」るにある。
 ○ 工事内容は、
  ①灌水排水が自由にできるよう、承水溝と排水溝の連絡をよくすること。
  ②耕道を設けて排水の便を図ること。
  ③水田は地勢に応じて区画し、畦畔も多少修正すること。
  ④用水源である三貯水池(溝坂、坊谷、方ケ谷)は拡げ、土を浚渫すること、この工事計画は、次の通りであった。
 ○ 溝坂貯水池
 この溜池は、面積六反一四歩(約六アール)あるが数十年間浚渫をしないので、土砂が積り、水深僅か三尺(〇・九米)ほどなので、底部の土砂を渫浚し、堤を積上げ、水深を七尺(二・一米)にし、その上の堤を三尺高くし、土手の幅は九尺とする。これによって、六町九反三畝一歩(約七ヘクタール)の耕地をうるおすことができる。
 ○ 坊谷貯水池
 前者と同様、池底を浚渫、水深を七尺にし、堤は水面から二尺五寸築き上げ、馬踏(土手の幅)を六尺にする。以前より四倍の強さとなる。受益面積は、四町二反九畝二四歩。
 ○ 方ケ谷貯水池
 現在の面積より一反歩(一〇アール)広げ、水面積を二反三畝二九歩、水深を六尺まで浚渫する。堤はそのままで安全である。受益面積、四町一反三畝二七歩。

(ウ) 工事費及び耕地面積
 ○ 総工費予算、二千九百拾円六拾壱銭二厘
 内訳 金百六二円四二銭    道路費
    金百三〇円八八銭    水路費
    金百三九円四四銭    畦畔費
    金千二百七四円一六銭  耕地功均費
    金六百八三円四銭二厘  溜池費
    金四百一四円七銭    工作物諸費
    金百六円六〇銭     測量費
 ○ 総面積弐拾五町五反一畝二〇歩
   総地価九千六百六三円八七銭

 以上であるが、この工事遂行に当り、詳細な基礎調査を行っている。これは当時の状況を知る上に参考となるので、その一部を註(8)に掲げておく。