国府里耕地整理組合

138 ~ 139 / 756ページ
 この組合は、昭和七年(一九三二)の旱害を契機に生まれたもので、事業の特色は、貯水池の護岸工事と用排水路の開通、特に長い隧道の開削工事である。これによって、長い間水利に恵まれなかった大加場から更に谷合いまでも水が通ることになり、増産に大きく貢献することになった。今国府里神社下には、この工事を称える「水利開発記念碑」が残されているので、この碑記によって、事業の内容を述べてみよう。
 碑文によれば「抑(そもそも)工事ハ字筆先地先ニ鉄筋混凝土(コンクリート)ノ護岸工事ヲ施シテ水門ヲ設ケ水路ヲ開キ、山ヲ穿ツコト百十八間(二一二米)字大加場ニ至リ、更ニ隧道百有余間(一九一米)字南前ニ出ヅ。之ヲ幹線水路トス。尚ホ・染谷ヨリ内谷ニ隧道四二間(七六米)再ビ山腹ヲ穿ツ四十六間(八三米)禰宣屋敷ニ通ズルヲ支線第一号トシ、染谷ヨリ岐レテ旧水路ニ接スルヲ支線第二号トス。」とある。
 これをみると、トンネル工事に重点がおかれ、そのために、工事費や工事期間も延びている。即ち、工事期間は、昭和八年二月着工、同一〇年二月に竣工、経費は、総工費五千三百七二円で、内昭和八年三千円、堰框水路及隧道工事費、同九年弐千参百七拾弐円、堰留地先護岸工事費となっているが、その費用は、当時の村民であり県会議員でもあった木島義夫の努力により、県及国よりの旱害対策施設の補助金として交付をうけたものである。工事関係者をあげると。
  委員長木島義夫、副委員長 高吉秀一
  委員山崎義一郎、大和久宗太郎、石倉定吉、小野与三吉、高吉倉之助、高吉太吉、高橋豊治。設計監督 小原俊一
  工事請負人森正善

 なお、建碑は、昭和一〇年一一月、国府里区民一同の義捐金によるもので世話人は、高吉又五郎、安藤藤一郎、加藤茂吉、川崎隆茂であった。
 

(旧国府里水路)

 

(国府里水路トンネル入口)