水上村の土地改良

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(ア) 産業道路の改修
 土地改良事業の中で農道の開発も極めて重要な仕事である。そこで水上村刑部地区の場合について記そう。

 水上地区は、山林五七六八アール(四二%)、水田二八八〇アール(二二%)畑七二二アール(六%)で、畑地が極めて少いので、古来、長柄、養老両村へ出耕作をしてきた。台地の畑は、本地区の穀倉であり、生命線とも言うべきものであるが、耕地は、二粁から七粁という遠距離にあり、標高差も百米に及び、その上、道路は幅が狭く傾斜が急で曲折の多い七曲坂を登らねばならず、肥料や収穫物の運搬が極めて困難であった。その上、反当の収量も少く、折角の畑も終戦後放置され、山林や荒地に変るものが多かった。
 そこで、昭和二八年、水上村では、耕作者の便を図るため失業対策事業として、農道の改修を計画、次の工事を行った。即ち、三沢地区県道分岐点から滝沢(七曲下)の間の道路幅員を四米に広げ、この間にある三つの橋の中、関戸橋をコンクリートの永久橋にし、他を暗渠とした。その後更に七曲坂を改修し新道を築立することになった。
(イ) 刑部土地改良区
 昭和二九年(一九〇三)に結成され、刑部区字滝沢より養老村字築見まで延長一四〇三米、幅四米の道路を造ろうというもので、同年一二月に起工し、同三一年五月に完成をみた。

 
総事業費 二五〇万円
 支出内訳 自己資金 五五万円
      起債   七〇万円
      国庫補助 五〇万円
      県補助  二五万円
      村費   五〇万円
 潰地代金五万四千円、受益面積七三六・九アール。
 組合員は二〇七名、役員は次の通り。
理事長 田中一郎、事務主任 篠原靖
    工事主任 三橋健一郎
理事 篠原栄蔵(篠網)土岐田胤松(大津倉)
    泉水正男(田代)加藤慶一郎(月川)
    斉藤信治(辺田)池座賢照(三沢)

 
 完成後、町道として町へ移管した。その後同三四年台風により被害をうけたが改修し、同四一年県費補助により補修した。