用水コントロール中心の土地改良

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 今まで述べたように、明治の末期から、戦後、昭和三〇年(一九五五)過ぎまでの間に、本町では数多くの土地改良事業が行なわれ、増産に寄与してきた。
 しかし、それら事業の内容をみると、二・三の基盤整備を行ったもののほか、殆んどのものは、用排水改良を中心としたものであった。それは、言う迄もなく、水を自由にコントロールすることが、端的に米増産に結び付いたからである。ところで、このような努力によって、本町の「農業用水」は十分コントロールできる状態になっているであろうか。否である。
 昭和三〇年長柄町建設計画書(役場資料)の基礎調査には、「農業用水」について、次の如く述べている。
 「本町内に流れる一宮川は、平均幅員五米、流域延長一七・一粁あり。日吉、水上に於て六か所の用水施設が整備され、農業用水として一六〇町歩(一六〇ヘクタール)に利用されている。溜池は、大小合わせて四八か所あり、その面積は一〇・一町、水量一五三〇〇立方米(八五千石)あり。二四六町歩に利用されている。しかし、その合計は四〇六町歩で、水田総面積の四九%に過ぎない。」と述べ、用水のコントロールできる状態を次のような表で示している。
農業用水(昭30)(単位町)
区分箇所数関係面積用水潤沢面積用水適当面積用水不足面積
 地区
水源別
長柄日吉水上長柄日吉水上長柄日吉水上長柄日吉水上長柄日吉水上
総数
河川
溜池
20
6
14
18
3
15
22
3
19
60
12
48
128
40
88
227
90
137
112
30
82
467
160
307
23
10
13
55
34
21
29
9
20
107
53
54
87
30
57
145
56
89
67
21
46
299
107
192
48
0
18
27
0
27
16
0
16
61
0
61

 これをみると、長柄町水田の半数以上が、未だ用水のコントロールに悩んでいることになる。更に地域別にみると、用水潤沢、適当面積は日吉地区が最もよく六三%、次が長柄の四一%、水上地区は僅かに三二%にすぎない。これは、明治以来の土地改良による住民の関心の高さにもよるわけであろうが、今一つは、地域の土地の広狭や、高低にも大きく左右されていると思われる。
 さて、このようにみてくると、長柄町の農業には、更に水をコントロールするための施設を必要とすることは言う迄もない。
 ところが、この土地改良事業は、昭和三六年(一九六一)農業基本法制定以後、大きく変質した。それは、これまでの単なる用排水改良主体から、圃場整備へと重点が移されたことである。それによって農地を集団化し、農用機械をフルに活用し、労働生産性の向上をめざそうとするものである。
 それが農業構造改善事業といわれるもので、従来の農業の考え方を根本からかえてゆくものである。本町では、川嶋町長の町づくりの基本施策として、農業の近代化をめざした新しい土地改良事業に取組んでいるが、これについては項を改めて述べることにする。
 

 (1) 旧長柄村役場資料。
 (2) 千葉県史・明治編。
 (3) 旧長柄村役場資料。
 (4) 町史前編(郷土の入会論争、三五一頁)。
 (5) 横山豊比古家文書。
 
     拝借原野御払下ノ義ニ付 負担ノ義ニ付上申
   長柄郡上長柄村山之郷区ノ内、字金奈山
 
   一、原野反別拾七町四歩、内反別拾壱町五反四歩長柄郡上長柄村上野区 横山治郎作外一九名ノ負担
  内 六町五反歩  此出願書ハ二四年三月出シ候調印ノ際上申仕リ候
  内 五丁四歩
反別 五町五反歩  同  同   味庄区 山崎義三郎外二八名負担
    同  同  山之郷ノ内字小山
   一、原野反別七町八反壱畝七歩、内反別 五町八反三畝一八歩長柄郡上長柄村舟木区山岸俊一郎外二二名負担
反別 弐反歩  同  同 上野区負担
反別 壱町七反七畝一九歩  同  同 中之台区負担
    同  同  山之郷区ノ内 字宮ノ前二
   一、原野反別六町七反四畝四歩、内反別二町三反八畝二四歩長柄郡二宮本郷村真名区来知
                    山崎長蔵外二二名負担
反別 壱町壱反四畝壱歩  同  同 庄吉区金坂芳蔵外一九名負担
反別 弐町壱畝九歩長柄郡上長柄村味庄区山崎義三郎外二八名負担
反別 弐反歩  同  同 中之台区川崎松蔵外六名負担
反別 壱町歩  同  同 舟木区山岸俊一外二二名負担
    同  同  山之郷ノ内字辻
   一、原野反別拾六町八反六畝二六歩 内反別二反八畝歩長柄郡上長柄村中之台区川嶋松蔵外六名負担
反別 二反三畝一六歩  同  同 舟木区山岸俊一外二二名負担
反別 八町四反壱畝一五歩  同  二宮本郷村山崎区蒔田儀平外八〇名負担
反別 壱町五反六畝一九歩  同  同 芦網区山本兼吉外一六名負担
反別六町七反七畝六歩  同  同 国府関区及川太一外百名負担
    長柄郡上長柄村山之郷区字金生
   一、原野反別五町五反四畝九歩  長柄郡二宮本郷村国府関区及川太一外百名負担
    前記之通リ原野拝借人ニテ夫々協議仕、分割負担ヲ定メ地形ニ寄リ開墾樹芸等仕リ候間成業ノ上ハ負担人へ払下相成候様願度且ツ以後景況等ノ義ハ壱区限リ具申仕候筈ニ付此段及上申置候也
  明治廿三年十一月廿五日長柄郡上長柄村上野区横山治郎作 印
 同  同  中ノ台区川嶋松蔵 印
 同  同  舟木区山岸俊一 印
 同  同  味庄区山崎義三郎 印
 同  二宮本郷村真名区山崎長蔵 印
 同  同  庄吉区金坂芳蔵 印
 同  同  芦網区山本兼吉 印
 同  同  山崎区蒔田儀平 印
 同  同  国府関区及川太一 印

 
  千葉県知事
      藤島正健殿
 
(6) (道脇寺にある記念碑全文。)
 
   開拓記念碑  二宮隠士 及川皇民篆額
 変荒蕪開草菜、古今之偉業富強之術莫加焉。嗚呼我旧郡内於山之郷地籍有荒漢之地。古来称大野。旧国府関、山崎、庄吉、芦網、味庄、船木、上野、中之台而真名内来知谷数村皆各有其一部。故芻荒雉兎之利年々往同之。然而明治維新地租改正之際悉収帰。官地不其地名分五処改正、反別五拾参町九反六畝余歩也。時官既布開墾樹芸之令、因是以上各村同心協力各撰代表者当其局、後荐欲徹開拓之目的而再撰抜代表者乃得国府関村及川太一庄吉村金坂芳造委託焉。猶乞地籍村成嶋某及六聯合戸長、各邨該地払下適当価格壱反歩以金弐拾銭予約、一意為開墾樹芸、要前途拾年間之三料、明治十七年一月向本県令船越衛具状懇請之、翌年一月乃得其指令聴許。尋及川太一前後十年竭心代表之任務業既配賦之各村三百二拾余名大凡以平均壱戸壱反之予定測量之、其他磽薄之地更種他諸木以将利之。於是各自努力従事于此、後一日早欲遂其事而各村捻代山崎、黒須、横山、川嶋、大塚、金坂、蒔田両氏山本等数氏相共謀而稟請之。一村限応戸数立区域定分担、伐荊棘扱榛莽、各尽心力稍奏其功。官亦嘗臨該地検之数矣。又反覆測量之命因傭聘堀田測量技手、重究実地明細測量製精密地図明覈従横歩数而合反別六拾五町弐反余歩也。以金円既成、進呈之山崎、大塚、川嶋三代交互当代表之途而鞅掌焉。
 厥後明治三十四年八月自大林区嶋田林務官得該地悉皆払下認可而弥開拓事業成功、予約壱反歩金弐拾銭也通計壱百三十余乃諌実測地全面而忽完了之、漸而帰各村三百弐拾余名所有矣。明治三十七年一月佐伯税務官来悉査定地番其他関該地一切諸務去。噫既回顧之歳月之久前後殆二十有余年、其間各村経費不為寡焉。雖然年々所産出亦不為不多焉。抑荒蕪開拓尤方今之急務而富強之基礎莫先焉。
 於此各区当局諸氏其他有志之輩毎相会不堪肝銘但共相謀議欲建設記念碑豈非同日之論。因如其建碑費額乃有志輩之義捐及発起負部落該地所有人民負担以報其労云。頃日介友人集以徴其文於余。余誼不得辞遂忘固陋敢叙其事実者如此。
  賛日
   経歴二十余年 開拓事業始全
   斯功績雖百世 鏤金石永赫然
   明治庚戍夏
 
南総処士
 諸岡文節 撰文
 岡沢茎石 謹書
 野村椿年 刻
 (裏面)
   二宮本郷村国府関大塚源三郎
 発山崎糸久新造
庄吉金坂冨蔵
 起芦網山本兼次郎
同真名内来知谷蒔田恒太郎
   長柄村味庄山崎登
 員船木山岸俊一
中之台川嶋美雅

 
 
(7) (御小屋台開拓頌徳碑全文。)
 
   頌徳碑
 山根、千代丸之西有散地焉。曰御小屋台。面積数十町歩、土地肥沃接道路近人家便稼穡而両邑之水源地也。明治十二年山根人大和久台作君与千代丸人林太郎吉君企図之開拓。時柴崎某亦欲創学舎観音台、拓地以得学田乃相謀与有志三十六人、請官而得其允許、将就緒。偶有藤川三渓者、称先有此地之権、唱異議而許官、有志亦往々背離、於是紛争加激結而不解二十有余年。後及官之処分急、外理与金千円於三渓漸得解決焉。中有属于国吉某地数町歩。大和久君又買収之、始使人々安意、而開拓。超至明治三十五年納金於官測量各人所墾之地而経地価之査定、今茲夏全為私田正了配分贈与矣。
 抑々此地者関乎山根、千代丸両邑之盛衰、大和久君嗣子良助君、継父而斡旋七閲年者良有以也。邑人深徳三君之劬労欲勤伝之于不朽。良助君辞曰、余第成父之素志耳。曷足以為徳耶。
 邑人倍々徳其不為徳乃胥議建此碑。
                香洞 撰并書
                山根 千代丸 両邑
  明治四十一年十二月
 
 (裏面)
  発起人山根村風戸徳右エ門
 同大和久台作
 同遠藤儀三郎
 同鶴岡豊吉
 同大和久石太郎
 同畠山吉太郎
千代丸村林覚造
林勇蔵
 野村椿年刻

 
 
(8) 桜谷耕地整理組合、工事計画基礎資料
(一) 農業状態
   主要作物  稲
  栽培ノ方法
  (イ) 種子  塩水撰ヲ行ヒ四月十五日頃ヨリ始マリ浸水約七日乃至十日間
  (ロ) 苗代  冬期苗代ノ管理方法ハ乾田或ハ湛水一定セズ肥料ノ配合一反歩約十円五十銭豆粕六円人糞四円五十銭
  (ハ) 播下  一坪ニ付五合乃至六合ノ割合ニテ播下ス
  (ニ) 挿秧  六月五日頃ヨリ同月二十一日迄一株ノ本数早生八本中稲六本晩生四本
  (ホ) 収穫期  早稲十月五日頃ヨリ始メ中稲十月廿日ヨリ晩稲十一月五日ヨリ始ム
  (ヘ) 作付ノ割合  早生弐分 中生三分 晩生五分
 
(二) 雨量     (茂原観測所五ケ年平均ニヨル)
 (イ) 非灌漑期十一月ヨリ翌年五月ニ至ルモノ八三一・二粍
 (ロ) 灌漑期 六月ヨリ九月十日ニ至ルモノ八三五・九 
 (ハ) 最大雨量六月ヨリ十月ニ至ル間第二次最大雨量一五六・〇 
 (ニ) 平均雨量一八五六・五 
 (ホ) 平均月雨量一五四・七 
 蒸発量      (銚子測候所ニヨル)
 (イ) 非灌漑期十一月ヨリ翌五月ニ至ルモノ四五四・〇粍
 (ロ) 灌漑期 六月ヨリ九月十日ニ至ルモノ三三〇・六 
 (ハ) 平均年蒸発量九一〇・〇 
 (ニ) 平均月蒸発量七五・八 

 
 
(三) 本地区既往十ケ年間ニ於ケル米作豊凶歩合左ノ如シ
年次平年作ニ対スル増減歩合同上増減ヲ来シタル主ナル理由及雨量歩合
明治卅三年一割六分減挿秧後気候不順ト風災ノ被害アリニシヨル雨量ハ平年ヨリ少シ
同三十四年二割 増播種後土用前迄ハ気候不良ナリシモ土用中旬ヨリ気候順ニ復シ気温高度ヲ示シタルニヨリ且ツ雨量ハ少シク多シ
同三十五年三割二分減播種以来兎角気温低ク殊ニ秋季ニ入リテ古今稀ナル暴風雨ノ襲来アリシニヨル雨量多シ
同三十六年一割八分増挿秧前後共気温雨量適順ヲ得タルニヨル 雨量多シ
 
年次平年作ニ対スル増減歩合同上増減ヲ来シタル主ナル理由及雨量歩合
同三十七年二割五分増播種期ハ気候低温ナリシモ移植後ニ入リテ前期ニ反シ非常ニ高温トナリ後出穂期気温適順ナリニヨシル雨量ハ平年ヨリ少シ
同三十八年一割  減挿秧前後共兎角気温不順ナリシニヨル 雨量同少シ
同三十九年二割三分減播種後ハ気候適順ニシテ苗ノ発芽成育良好ナリシモ移植後ニ至リ気候兎角不順勝ニシテ稲ノ生育ヲ妨ケラレタルニヨル 雨量非常ニ多シ
同四十年一割五分増挿秧前後共気候適順特ニ土用中ハ概シテ気温高度ニシテ結実充分ナリシニヨル雨量非常ニ多シ
同四十一年増減ナシ雨量多シ
同四十二年二割三分増挿秧前後共気候適順ナリシニヨル 雨量平年ヨリ少シ
備考 平年作一反歩ノ収米二石トス

 
 
(四) 桜谷区土地ノ面積ト農家戸数トノ関係 (備考一八丁五二二六ハ一八町五反二畝二六歩ノ略)
土地ノ面積
宅地山林其他
三五丁〇二二一八丁五二二六〇九丁八一四五九丁七八〇二一一九丁二〇〇四
一戸当面積
宅地山林其他
、七一一八、三七〇六、一〇〇五一、一九一六二、三八一五

 
 
(五) 同 区総戸数人員及農戸数人員トノ割合
総戸数総人員農戸数階人員農労働
者人員
総戸数ニ対スル
農戸ノ割合
総人員ニ対スル
農人員ノ割合
総人員ニ対スル
農労働者ノ割合
五〇戸三二〇人四八戸一二五人八人九割六分三割九分六二分五厘

 
 
(六) 同区自作者、自作兼小作者及小作者数
自作者自作兼小作者小作者自作者割合自作兼
小作者割合
小作者割合
一五戸二二戸一三戸五〇戸三割四割五分二割六分

 
 
(七) 同区米麦消費高
種目現在人口産額消費高一人一ケ年
平均消費高
一人一ケ年
平均生産高
産額ニ対スル消費高過不足
不足
 
 
三二〇人
石   
七一六、一四〇
石   
四八〇石、〇〇〇
石   
一、五〇〇
石   
二、二三八
石   
三三六、一四〇
 
三二〇人一四八、二二〇一四八、二二〇、四六三、四六三

 
 
(八) 水田ノ収益 (自作中田一反歩当)(一俵五円ノ相場)
収入支出差引損益
収米同上代金其他収入計公租肥料代種子代人夫賃支出計
石   
二、〇〇〇
円   
二五、〇〇〇
 
一、〇〇〇
 
二六、〇〇〇
 
三、九〇〇
 
四、五〇〇
 
、三六〇
 
七、二〇〇
 
一五、九六〇
 
九、〇四〇
 

 
 
(九) 副業其他ノ調査
副業種類戸数総収量一戸当数量価格摘要
 
養蚕

〆   
三五、〇〇〇 
〆   
八、七六〇 
円   
一〇五、〇〇〇
 
製繭一〆目金参円ノ見積
家禽五〇二五〇羽五羽七二〇、〇〇〇一戸一日産卵二個見積一ケ金二銭トシテ
果樹四五柿一一、二五〇〆
蜜柑  四五〇 
二五〇〆
一〇〆
七五、〇〇〇
一五、〇〇〇
柿三十〆金弐円ノ見積
蜜柑三貫一円ノ見積
農用馬一四一四 一 一、一二〇、〇〇〇馬一頭平均八十円ノ見積
藁製作品四七八四、六〇〇枚一、八〇〇枚二、二五〇、三六〇製莚一枚金弐銭六厘六毛ト見積
荷車三一五日一〇五日一五七、五〇〇荷車捉一輛一日金五拾銭ノ見積
   四、四四二、八六〇〆ハ貫(約三、七五キログラム)の略字

 
(9) 徳増揚水組合規約
                   (増田義朗家文書)
 今般下名者ハ共同シテ日吉村徳増字新堀ヨリ字水天ニ至レル八字ノ土地ヲ一区域トシ水田灌漑ノ為メ揚水蒸溜喞筒ヲ設置セシニ付其ノ区域内ノ土地所有者並ニ質権者ハ組合ヲ組織シ左ノ各項ヲ規約ス
第一項 株式会社千葉県農工銀行ヨリ金壱千九百円ヲ五ケ年償還ノ目的ニテ借入揚水機設置費用ノ支弁ヲ為ス事
第二項 借入金各人別使用仕訳ハ本書ト同時ニ公証役場ノ確定日附アル証書ヲ以テ根基トス但散失ノ時ノ予備トシテ副本弐通ヲ作製ス
第三項 組合員ハ借入金ニ対シ各人別使用金ノ拾分ノ壱ニ利子ヲ添加シタル金額ヲ毎年弐回委員ノ指定シタル日ニ払込ヲ為スベシ
第四項 質権設定ノ土地ニ就テハ質権者質権設定者ハ質権設定中ハ借入金ヲ各折半ニ分担シ且ツ払込ヲ為スベキモノトス質権抹消ノ時ハ其土地ノ各分担額ヲ合算シ之レヲ拾五分シ得タル数ヲ壱ケ年ノ負担額トシ本規約成立ヨリ抹消迄ノ年数ニ乗ジ得タル数ヲ質権者ノ出金ヨリ相殺シ過余ハ質権設定者ヨリ質権者ニ還付ス若シ其得タル金額質権者ノ出金ヨリ多キ時ハ其多キ金額ヲ質権者ヨリ質権設定者ニ還付スベキモノトス
  但本規約成立ヨリ七年半ヲ経過スル時ハ毎年計算スルモノトス
第五項 寺院及出寄留者並ニ本区域内ニ関係僅少ナル土地所有者ノ負担金借入ニ付テハ手続上不便ナルヲ以テ不可分割金トシテ組合員共同名義ニ於テ借入セシモ寺院ニ在ツテハ檀家総代人代テ義務ヲ負ヒ其他ノ者ハ本約ヲ遵奉シ別冊借入金各人別使用仕訳書ノ義務ヲ負担シ且ツ支払ヲ為ス事
  但別約ヲ以テ本義務ヲ追認セシムルコトヲ得
第六項 本区域内ノ土地ヲ売買質入シ本契約義務ノ移転ヲ為サントスル者ハ当事者其事由ヲ連署ノ書面ニテ委員ニ届出承認ヲ経ザレバ功力ヲ有セズ此場合担保ヲ供セシムルヲ得
 但本契約ノ条項ニ牴触ノ申出ヲ為スヲ得ズ
第七項 本区域内ニ於テ開墾或ハ変換シテ水田トナリタル土地ノ所有者本組合ニ加入及本組合員ノ所有ノ土地前段ニ依リ灌漑ニ参加スル場合ハ第四項質権抹消ノ課率ヲ準用ス
第八項 本区域内ニ於テ現ニ掘抜井戸ニテ灌水ノ土地ハ借入金ニ対シテハ他ノ水田ノ拾分ノ参比例負担トス若シ井水枯渇本機械ノ灌水ヲ受クル場合ノ費額負担ハ第四項質権抹消ノ課率ヲ適用ス
第九項 組合費用ハ本区域内組合参加水田面積ニ賦課ス前項ノ土地ニ対シテハ前比例トス但質権設定ノ土地ハ質権者ノ負担トス
第十項 借入金ヲ委員ノ指定日ニ払込マズ又ハ借入金ノ返還ニ影況スベキ行為アリト認ムル者アル時ハ委員会ハ借入未払残額全部ヲ提供セシムルカ若シクハ相当ト認ムル担保品ヲ徴スルコトヲ得最モ怠納者ニ対シ訴訟提起ノ場合ニ於テハ借入金額全部及利子ヲ一時ニ償還請求スルモノトス
  但本項ノ適用ニ付テハ総会ニ諮訊スルコトヲ得
第十一項 本組合ニ委員八名ヲ置キ組合全般ノ事ヲ処理セシム
  但委員ニハ報酬ヲ給セズ相当ノ実費ハ支給ス
第十二項 委員七名ハ組合会ニテ選挙シ壱名ハ選挙ヲ用ヒズ当時ノ区長ヲ以テ之レニ当ツ委員区長タル時ハ壱名欠員トス
第十三項 揚水時期ハ五月十五日ヨリトス
  但特別必用ノ場合ニハ委員会ニテ評決々行ス
第十四項 本機械使用修繕費用ハ本区域内給水水田耕作者ヨリ面積ヲ標準トシテ徴収ス
  但委員会ニ於テ修繕ヲ大工事ニシテ過大ノ費用ヲ要スルト認ムル時ハ土地所有者者質権者ニ賦課スル事ヲ得
第十五項 給水順序ハ第一字新堀第二字乱塔場第三象ケ崎トシ其余ハ其年ノ情況ニ依リ委員会ニテ参酌シ区域内平等ニ分水スルモノトス
第十六項 本組総会並ニ委員会ノ方法ハ都テ旧慣行ニ従フ
第十七項 組合費用ヲ負担セズ又ハ使用修繕費用ヲ分担セザル者ノ水田ニハ委員会ノ評決ニテ給水ヲ絶ツコトアルベシ
前記各組合総会ノ評決ヲ経同意ナルヲ以テ茲ニ署名捺印ス
  明治四拾年壱月弐拾弐日作製
   (住所番地印を省略し氏名のみ記す)
 
  白井銀太郎鶴岡権治郎若菜すゑ
  平川金之助増田平蔵若菜繁蔵
  平川歓次高仲三省平川藤吉
  高中源蔵増田弥太郎武田忠太郎
  伊藤久次郎高中甚蔵宍倉諭一郎
  大川徳太郎増田重左衛門佐川常蔵
  石和田伝蔵網野初太郎鶴岡政吉
  石和田長次郎鶴岡由次郎石井喜十郎
  増田安五郎平川鉄蔵円覚寺檀家総代人 平川伊勢五郎
  石井源三郎網野安三郎城徳寺檀家総代人 石和田伝蔵

 
(10) 千葉県干害地救済委員会記録。長柄町役場文書
(11) 川崎主計家文書
(12) 前田政之丞家文書
(13) 大野達雄家文書