一定の広さの耕地から作物の収量をふやすには、農業技術の改善進歩に待つほかはない。ところで政府は、明治以来、西洋の技術を取入れたり、国や県に農事試験場を設置して農業技術の研究に努め、農会組織などを通じて、地域に徹底を図ったが、戦後の昭和二五年(一九五〇)頃までは、その進歩は誠に遅々たるもので、昔のままの技術をうけ継いでいるものが多かった。その発展の姿は、ほぼ前掲「稲作栽培技術の諸画期」に示された通りである。
ところが、二六年頃から、保温折衷苗代の育苗技術と本田早期栽培技術の開発を発端とし、品種改良、農薬の発明、肥料の開発、田植機を頂点とする農用機械の出現によって、栽培技術の革命をひきおこし、三五年頃から一〇アール当り収量も飛躍的に増加した。
次に郷土に於ける改善の跡を辿ってみよう。