大正―施肥改善の時代

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どんな肥料が最も農作物に効力があるかをたしかめることは、いろいろな肥料が出廻ってくると、極めて大切なことである。
 明治三五年(一九〇二)から三八年まで四か年に亘り、麦作について、肥料試験を行った結果の注目すべき報告が上永吉区農会(現茂原市)から「麦作試験成績」(2)として発表されている。その一部をみると、燐酸質肥料では、蒸骨粉→米糠→過燐酸石灰の順になるが、その成果はあまり差がないので、価の安い燐酸がよいとすすめている。窒素質肥料では、人糞尿→干鰮→大豆粕→堆肥の順となるが、干鰮は最も高価であるので、人糞尿、大豆粕がよく、堆肥は改善をして使用すべきであるとしている。
 このような研究が各方面に影響を与えたり、地方農民の努力により、大正時代は、金肥が急速に普及する。特に大豆粕はピークを迎えるが、日華事変(昭和一六)を境に激減した。大正三年(一九一四)に長柄村の二つの組合で取扱った肥料は、次表(1・2)の通りであり、大豆粕と過燐酸石灰が中心となっている。その後、昭和に入り、硫安や窒素など化学肥料が用いるられるようになり、昭和一二年には、肥効試験も行なわれ、正しい肥料の使い方が指導された。
 ところで、大正時代の町村長会議の議題(3)をみると、化学肥料の使用について、稲作の技術者は極めて慎重であったことが伺える。昔から「米は地力で、麦は肥料で」と言われるように、水稲について、窒素施用過多は、イモチ病や倒伏をひき起すことによって、減収になると戒められていたからであろうか。そして自給肥料として、堆肥の増製をすすめている。例えば
 大正五・一・一五「自給肥料ニ関スル件。」「近時販売肥料消費額著シク、加フルニ欧州戦乱ノ影響ヲ蒙リ、輸入肥料騰貴シタルタメ農家ノ困難容易ナラザルヲ認メ……前年ヨリ郡農会ニテ堆肥ノ改良増製並ニ緑肥栽培奨励ニ努メ効上ル……」とあり、大正六・一・二〇「肥料調査ノ件」では「自給肥料・金肥ヲ調査シ之カ改善ニ力メントシ……」同六・六・一九「堆積肥料舎建設ノ件」「金肥多ク堆肥少キハ遺憾ナリ。実業補習学校ニ於テ堆積肥料舎ヲ建設堆肥製造ヲ実習シ、改善ニ力メラレタシ。」
 同九・一〇・二八「肥料ニ関スル件」
 「最近本郡(長生)販売肥料消費額ハ六二万二千余円ニ達シ将来益々増加ノ趨勢ニアリ……肥料ハ販売肥料ト自給肥料ト両々相俟チテソノ効能ヲ完フスルモノニシテ……各位ハ益々堆肥緑肥ノ増産ニ努メラレンコトヲ望ム」
 このように農民は、なるべく手間の省ける金肥の使用に移行していったことが伺える。
 
肥料状況
表1 五区信用販売購買組合事業(組合員109人)(大正3年末)
肥料種類数量購買価格販売価格
大豆粕
過燐酸石灰
干鰛
米糠
溶解(グラノ)
完全肥料
478枚
2,805叺
131俵
394叺
177叺
778円38銭0厘
2,865 19 0 
253 11 0 
377 66 0 
242 81 0 
783円16銭0厘
2,888 14 0 
254 42 0 
383 60 0 
242 58 0 

 
表2 長柄信用購買組合(組合員184人)(大正3年末)
大豆粕
過燐酸石灰
干鰛
完全肥料
463枚
310叺
 86俵
 2叺
760円56銭0厘
312 27 0 
224 38 0 
5 30 0 
770円06銭0厘
321 89 0 
231 20 0 
6 40 0