注油防除

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次に注油防除は昭和一二年(一九三七)郡農会から長柄村農会に達せられた「二化螟虫駆除予防ニ関スル件」の通牒があるが、その中で除虫菊の使用について次のように述べている。
 
 1 薬品設計、一石当り魚油一升五合、除虫菊二五匁、混合散布
 2 駆除時刻ト殺虫効果
  午前一〇時七五%、午前三時九〇%、午前四時一〇〇%、午前五時七〇%、午前六時五〇%
 3 作業ハ午前五時迄ニ終了スルコトガ、最モ有効デアル。

 
 このように、除虫菊が使われ出したのは、千葉県においては昭和五年(4)(一九三四)頃からであるという。
 病害については、当時薬品がなかったので、手の施しようがなかったようである。
 昭和一二年七月一日郡農会より、水稲赤枯病(窒息病)予防についての通牒(5)が出されたが、予防法としては次のようなものだった。
 
  「○本病発生ノ徴候ヲ認メタルトキハ、勉メテ浅水トナシ除草機ヲ以テ土壌ヲ攪拌スル。
   ○生育不良ノモノハ反当過燐酸石灰一叺流酸アンモニヤ一貫五百匁ヲ施用、直ニ除草ヲ兼ネ土壌ヲ攪拌シテ生育ノ恢復ヲ図ルコト」

 
 このようにして病害虫対策は、長い間、人海戦術の域を脱しなかったが、終戦後、昭和二五・六年頃から、防除革命とも云うべき方法が急速に開発されていった。