新農薬の発見

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八月の終戦と共に我国に進駐してきた連合軍、意気揚揚とジープに乗って風を切って走るこれら将兵が、その民主々義の思想と共に持参した恩恵の一つに、殺虫剤「D・D・T」があった。近代科学の産物であるこの製品は、従来からあった殺虫剤にくらべ格段の威力を発揮する貴重品だった。始めは、家畜の毛じらみだけでなく、学童の頭の毛じらみ退治に用いられたが、やがて青虫などを殺す農薬として利用された。その後更に強力なB・H・Cも現われた。人間の手で捕殺するか、卵を採集して焼却するしかなかった害虫駆除が、薬品の撒布で間違いなく全滅する。
 これまで西南暖地では、螟虫の発生と重ならないようにするため、稲の遅植えを余儀なくされていたが遅植では開花期に台風の被害に会うことになる。ところがパラチオン剤の出現によって二化螟虫退治ができ、稲作革命とまでいわれる稲の早期栽培を可能にした。有機燐系のホリドールは、今までの殺虫剤中最も強力で、「アブラムシ」でも一回の撒布で死滅する。二化螟虫駆除にも大きな威力を発揮したが、毒性が強いため、後に使用が禁止された。
 殺虫剤だけでなく、稲もち病などの殺菌剤として、水銀粉剤が登場する。昭和二九年(一九五四)頃からのことである。
 さて、昭和二八年頃県から紹介されていた農薬にどんなものがあったかというと、表1のように多種多様である。しかし、実際に三村で使用されたものをみると表2の通り、限られたものである。
 
表1 防除薬剤の値段(昭和28年)
薬剤名目方値段
1  ホリドール乳剤100cc350円
2   〃   粉剤3K450 
3  チオオス・フォスファ等 (上に同じ)
4  B.H.C 1%3210 
5  B.H.C 3%3350 
6  D.D.T乳剤20%1580 
7   〃 粉剤 5%3160 
8  硫酸銅1160 
9  スルフォン酸展着剤0.4110 
10 生石灰15380 
11 ウスプルン0.197 
12 セレサン石灰3240 
13 銅製剤1260 
14 銅水銀剤1260 

 
 
表2 いもち,めい虫薬剤使用数量及金額表(昭和28年10月)
 種別
町村
いもち
面積
使用量金額二化めい
虫面積
パラチ
オン
金額
硫酸銅生石灰展着剤
長柄310反232.5K465K18.6K50,034円97反291K48,500円
日吉80 60 120 4.8 12,912 152 456 76,000 
水上50 37.5 75 3.0 8,070 142 426 71,000 

 
 この年は、長柄にいもちが多く、日吉、水上は、二化螟虫が多かった。翌二九年日吉村の場合をみると、防除面積が、ずっと増している。
 これは前年に行い効果を収めたことによるのかも知れないが、その費用も大変なもので補助金を除き二四万円、(反当二四七円)で、米七五俵(一俵三千二百円)分にもなる。
 
表3 病害虫防除実績及補助金日吉村(昭和29年)
農薬名数量金額補助額単価(2割)
セレサン石灰430袋103,200円240円→192円
ホリドール粉剤105 39,375 375→300 
パラチオン粉剤416 156,000 375→300 
ホリドール乳剤12本3,720 310→248 
合計302,295 60,459 
防除面積
(全面積の31%)
いもち病 430反……セレサン石灰
めい虫  545反……パラチオンホリドール

 
 しかし農薬は毒薬である。害虫や病菌も殺すが、益虫や人間も殺すのである。一時田んぼには、どじようや鮒の姿が見えなくなり、螢も全滅した。トンボがみえなくなった。それだけではない。薬づけになった米を食べることによって、人体が水銀で汚染されたり、いろいろな障害も起ってきた。
 そこで、農薬についての見直しがなされ、害の少ないそして効果のあるものの開発が進められている。
 農薬について今一つ、除草剤の出現をあげねばなるまい。稲作労働の中で最も厳しいものの一つに「田の草取り」があった。夏の炎天に、四ツん這いになって、稲の株間をかいて除草するのである。経験したものでなければ解らぬ苦労である。それが「2・4・D」という農薬の出現で、必要がなくなった。昭和二九年頃からのことである。その後また「PCP除草薬」がつくられた。前者が、繁茂した雑草を枯死させるものであるのに対し、これは雑草を生えさせない発芽予防剤である。これらの優れた農薬の開発によって、稲作の作業体系も変ってきた。PCPを用いれば、「2・4・D」は使わなくてもよいわけである。農薬の開発は、今後どこまで進むであろうか測り知れないものがある。